吉宗桜
現在の庶民の花見の風習は、吉宗が隅田川堤(向島)や飛鳥山(王子)、御殿山(品川)などに桜を植えさせ、花見客用の飲食店まで造らせ、花見を奨励したのが始まりです。
平成20年 北区飛鳥山博物館 開館10周年記念特別展図録
鷹狩場に指定されていた江戸の飛鳥山に、享保5年に吉宗が桜の植樹をさせ、庶民の娯楽の場として整備した記録が残されています
御場御用一件 坤 18世紀後期 国立公文書館所蔵
飛鳥山では吉宗自身が大規模な花見の酒宴を催し、石碑も建立しています
将軍家菩提寺の寛永寺では許されていなかった歌舞音曲や仮装も許され、茶屋が整備され、やがて江戸一番の花見名所となりました
ふるさとの長保寺の桜を偲んで桜を植えさせたのかもしれませんね。
吉宗が将軍であった時代の長保時の絵図面です
桜が開花している様子が描かれています
境内の要所に桜を植えていた様子がわかります
吉宗は何回も長保寺を参拝しています
吉宗がこの桜を眺めたことは間違いありません
花の寺の由来
今、長保寺は「花の寺」ということを皆様にご案内しておりますが、もともとの由来がある話です。
吉宗の時代の頃に描かれたとされている長保寺絵図面に牡丹栽培の様子が描かれています。
絵図面にはその他にも色々な花が植えられていた様子が描かれています
牡丹は江戸時代から栽培が盛んで、おそらくは藩主の好みの贅沢で豪華な花ということで、境内の畑で栽培されていたようです。
普通の作物が栽培されていた様子はなく、牡丹だけが栽培されていたようです。
和歌山特報 平成10年3月21日 「吉宗ざくら」の記事