キリスト教の説話に、アダムとイブが智慧のリンゴを食べて、楽園を追放される話がある。仏教では逆で、文殊菩薩に智慧を授かることを祈ったりする。智慧がついたから不幸になるのか、智慧が足りないから不幸なのか。
世界の国の中には、愚民政策といって、自国の国民を情報から隔離してコントロールしようとしている国がある。逆に情報開示に目の色を変えて、ついに指導者をこき下ろすことに躍起になっている国もある。どちらの国が幸せか。
キリスト教では、神様が世界を作ったと考える。自然科学の不思議な美しさを思うと、かなり説得力がある。かたや仏教は縁起説である。原因が縁を得て結果となり種々の報いをもたらし、報いがまた原因となる。それがまた縁を得て結果となり報いを作る。これがエンドレスに続いているのが世界だと考える。世界は誰かが作ったものなのか、成り行きで出来たのか。
キリスト教でいう原罪は、つまり智慧のつきすぎである。仏教でいう無明とは、智慧の欠如である。全く正反対だが、実際は、この二つの概念は極めて似ている。
「あるがままの世界」から、自由を求め「我」が分離して、「自分の世界」を作ろうとする。「自分の世界」は、「あるがままの世界」とは永遠に別物である。リンゴをかじったのは、「我」が分離した瞬間で、無明は陳腐で貧弱な「自分の世界」である。
仏教は「自分の世界」がいつか「あるがままの世界」と肩を並べると考える。「自分の世界」をうち砕いても、そこには「めちゃくちゃに破壊された自分の世界」が出現するだけである。やはり、「あるがままの世界」の高みに到達するまで、菩薩として歩まなければならない。キリスト教ではそこまでしてはならない。「あるがままの世界」は神だけのものである。
さて、人間を本当に深く信じているのは、キリスト教と仏教とどちらだろう。ちょっと難しい。
キリスト教では、我々は迷える子羊である。いつまでたっても絶対に神にはなれない。それが仏教では、いともあっさりと気前よく、成仏ということを言う。仏教の終局的な目標は成仏である。菩薩は、成仏へのプロセスの途中ということになる。つまり、仏教徒は一応みんな菩薩である。
会社に例えれば、キリスト教会社では、社員は絶対に社長にはなれない。仏教会社では、社員はいずれのれん分けして社長になるか、ならなくても皆、社長になる英才教育を受ける。あなたなら、どちらの会社を選んで入社するのか。
一神教的絶対神はそもそも複数存在できない。キリスト教徒もイスラム教徒も、お互いさぞかし居心地悪いのだろう。
仏教の考えている世界は、鏡のようなものである。鏡の中に複数の神が写っていても、一向にかまわない。世界がもっとよく写るように、自分の心中にある鏡を磨き続けるのが仏教である。皆が心中に鏡を持っている。きれいに磨かれた鏡であれば、あなたは私の鏡に写り、私はあなたの鏡に写る。あなたの不幸は私の不幸となり、私の不幸はあなたの不幸となる。幸せは幸せになる。鏡が曇っていれば、誰も幸せにはなれない。鏡を磨き、人を傷つけることなく、先ず自分が幸せになること。これが、仏教の説く「慈悲」である。
社長になれないキリスト教会社の説く「愛」と、社長になれる仏教会社の説く「慈悲」と、スケールの大きいのはどちらだろうか。
江戸時代に各宗派で訓詁学が発達し、教学上の問答集が盛んに作られるようになった。これは藩幕体制を現状で維持するため、新宗教や新説の出現を幕府が嫌ったためで、いきおい祖師の説から外れないことに主眼が置かれることになった。型にはめるための誘導尋問とまでは言わないが、象牙の塔を作らんとする意図が明白にある。師説からはずれるのを糾弾するのは、幕府が真っ黒な顔をして裏で糸を引いているのである。結末としては廃仏棄釈となったわけで、江戸時代の教学上の議論が、当時の社会に対し仏教の意味を周知させたということではなかった、ということになる。
奈良時代から仏教論議は盛んに行われていた。僧侶の質を落とさないための口答諮問のような意味があった。平安時代、弘法大師は即身成仏を証明するため、問答の場で大日如来の三昧に入ったという。これを今言うと、ほんまかいな、と言う人もあるだろうが、話の意図する所を考えれば、「最終的には理屈を実地で証明しなければならない」という意味になる。こういう健全さが江戸時代にもあれば、仏教にはまた違った展開もあっただろう。
「群盲象を撫でる」という言葉があるが、象に部分的にでもさわっているうちは、まだいい。象の肌の手触りとか、温もりを確かに体験できる。それが、机の上で象とは何かを論じて、それで象を見たことになる、ということになりかねないご時世である。象ではなくて、議論を比較研究する学問すらある。
仏教の立場としては、象とは何かと問われれば、「目を開いて、象を見よ」と答えたいはずだが、これがなかなか素直にそうはならない事を歴史が教えている。議論に夢中になり、象はどうでもよくなってくる。
将来、キリスト教やイスラム教が、はたまた新興カルト教団が、「仏教は堕落している」と追いつめないとも限らないが、言葉の応酬は結局物別れに終わる。いままで宗教上の議論で、なにかが変わったためしが無い。そして、凡夫は凡夫のまま、無明は無明のままである。アメリカ式のデイベイトは、空母の派遣に行き着く。ほんとに議論に決着をつけるつもりなら、実力行使をするのでしょう。興教大師が高野山を追われた時は、武装した僧兵に命を狙われた。
前提に、共通の認識を形成しようという、親密な関係がなければ、議論をいくらしても、お互いの立場は変わらずに元のままである。不幸な物別れの例は、枚挙に暇がない。議論というものは、ほとんどの場合、始まる前にすでに結末がわかっているのである。
問題が宗教である場合、真実に到達するには議論そのものより、親密な関係の方がより重要である。言葉は、真実に至る手続きを明確にする手段にすぎない。そして、最終的には理屈を実際に証明する態度が必要になる。即身成仏を証明する為には、大日如来になってみせるのが一番スッキリしている。
私が高野山大学にいた時、ある先生から聞いた話だが、アメリカの大学で講師として密教を教えていた時、生徒から「一度、即身成仏してみせてくれ」と言われたそうだ。
釈尊は、相手に応じた様々な法を説いた。教説を並べてみれば、矛盾したことも説いている。やせすぎの人には、もっと食べるように。太った人には、食を減らすように説くわけである。だがら、各人各様別々の方法で修行するのが仏教本来の姿である。修行の段階によって違ってもくる。それが、日本の場合、宗派というものが出来てきて、宗派ごとに別々の方法ということになってくるから、適性や興味を考えず画一的な方法を絶対視し、押しつけるようになり、効果もないし、むしろ有害かもしれなくなってくる。
色々な宗派が独立した鎌倉時代は、社会も今よりは単純で、人間も素朴な、似たような人が多かったかもしれないので、素朴な方法でも間に合ったかもしれない。しかし、単純化した方法を画一的に押しつけるやり方は、複雑な現代社会に通用する方法ではないだろう。
文化の受容と伝播ということで考えると、仏教が日本に伝わり、先ず支配階級の上級貴族に信仰される。奈良時代に国分寺が建立され、大伽藍を中心として仏教は受け入れられていく。平安時代になると、学問中心の仏教に対抗して、山岳で修行する仏教が起こってくる。信仰の主体が、国家から個人に変わってくる。鎌倉時代には天皇中心の日本社会に、武士という強力な対抗組織が出来上がってくる。生産性の向上が背景にあるのかもしれない。中央集権が維持しきれなくなって、群雄割拠の時代へと進んでいく。大衆が、歴史の表舞台に登場できるだけの成熟を遂げてくる。そんな時代に、日本仏教といわれる、各祖師方が一派を建てて天台宗から独立するようになる。真言にも興教大師が出現する。仏教は限られた一部の人間のものでなくなり、大衆に解放される。戦国の混乱期を経て、江戸時代には、各家庭に仏教が完全に浸透する檀家制度が確立する。
平野部の大伽藍から、山間部の中規模の伽藍へ徐々に主流が変化していって、しだいに各村に小さくても自分達の寺が建てられるようになってくる。仏教は、成熟した感性を持つ、一部の上流階級から始まり、社会全体が豊かになっていく課程で、徐々により多くの真剣な信徒を獲得していったのである。社会の成熟過程は、人間の個人としての成熟過程でもあった。これが現代の、ほぼ真っ平らの、リッチな民主国家ということになると、仏教の流れを追って考えれば、完全に個々別々の携帯電話のような信仰ということになるのだろうか。一家に一台の電話機が檀家制としたら、携帯電話の時代の信仰の姿が見えてくる。各人が自分の寺をぶら下げて歩くわけにもいかないが、気持ちとしてはそういう意味になってくるのだろう。大型コンピューターが、PCになり、モバイルとなり、今は、着るコンピューターである。
そう考えると、檀家寺がせっせと美観を整えるのが、これから先どの程度求心力を持つのか見えてもくる。寺を核とした宗教活動は、これからはバラバラの各個人を視野に入れなければならなくなってくる。
しかし、家族という単位が崩壊してしまったら、人間は幸せにはなれない。家族には、心を合わせて信仰してもらいたい。檀家制は必要である。ただし、単純で画一的な信仰を押しつけることも、もはや不可能である。適正と興味に応じたアプローチがなければならない。2500年もの間、熟成を続けた仏教には、ほぼ無限のバリエーションがある。複雑になってしまった仏教を、原点にかえって見直して、その作業の中から個人の意志で自分にあったものを見いだしてもらわなければならない。個人にそれだけの自覚も責任も見識もなければ、より豊かで複雑になる社会には適応出来なくなる。個人がより成熟することが求められているのである。カルトブームは、この成熟が巧くいかなかった一種の退行現象かもしれない。このままいけば、愚劣な大衆が、愚劣な宗教を創出しないとは限らない。このあたりが人間の限度、ということになりかねない。人類が、この先、生存を続けるとしたら、もっと賢くなるしかないのである。
長保寺には国宝を始め、膨大な文化財が存在する。住職である私には、当然ながら、これらの文化財を管理する責任がある。が、ここに色々な問題点が存在する。
寺は宗教のための施設である。物を管理するのは第一義的な目的ではない。法律的にとらえたとしても、宗教法人の設立登記には文化財の管理など特別に記載されていないし、むしろ、するべきではない。博物館とか資料館とは訳が違うのである。宗教活動をさまたげる物質は取り除かなければならないし、ひょっとしたら、物を破壊して精神的価値を守る時がくるかもしれない。今の寺院の宗教活動は一見穏健であるが、そこは宗教であるから、物よりも心が優先するという原則からはずれることはない。
長保寺の境内地は史跡に指定されているが、現実に活動している宗教法人であるのだから、過去の遺物を守っているのとは訳が違う。建造物も建立された時から、数百年という時間の間、礼拝に使用され続けている。文化財保護法というものがあるが、これは実に裁量の幅の大きな法律で、たぶん、意図的に裁量の幅を大きく持たせたのだと思うし、それはそれで意義のあることだとは思うが、現実の適応となると様々な問題が生じてくる。
史跡の問題を取り上げても、発掘された縄文時代の遺跡と、今現在使用中の土地とをいっしょにするわけにはいかない。これが常識だと思うが、史跡地ということでまぜこぜにされてしまう。史跡地は過去の遺物である、という建前であるのだから、その上で人間が生活することを想定していない。人間の営みは史跡保存の妨害物である。これが、寺の境内が史跡ということになると、どういうことになるか。つまり、問題が日々発生することになる。現状保存という概念が、極端に大事にされすぎているきらいがある。時間を止めることなど、誰にも出来ない。しかし、保存するという名目で、かえって不細工な工作物を作ってしまうことは、実に日常茶飯事的に起こっている。
たとえば、建造物の修理も、昔と同じくらいの腕前の大工が工事するならいざしらず、入札ということになれば、つまりは安ければ安い程いいということになり、大工の技量は全く評価されないということになる。実際、文化財修理であっても大工の工賃の単価計算はそこらのビル工事などといっしょにされてしまっている。日当が高くても声のかかる高度な技量のある大工は、文化財の修理などしないで、もっと高賃金の仕事をする、ということになる。修理のために補足された貧弱な材木が、おそらく一番最初にトラブルをおこすだろう。これらはほんの一例で、数え上げれば、私の経験したことだけでもまだまだ色々なことがある。文化財の管理の仕組みというものは、まことに、紙の上で考えられる様なものではないのである。
文化財にたずさわる現場の人間はこれ位のことはわきわえている、はずである。現実には、法律の問題、手続きの問題、工期の問題、修理技術の問題、法外な費用の問題などが複雑に絡み合い、問題は解決されるどころか、益々深刻になりつつあると思うのは私だけだろうか。決定的なのは、いずこも同じ、金の問題である。
文化財が、つまりは社会の余剰生産によって支えられ、無ければ無いで済むのだということであれば、おそらくは、金が無くなればあっという間に消えて無くなるだろう。余剰価値である「文化」が生み出した「財産」なのであるから、金欠になれば財産が減少するという道理である。「金」イコール「文化」という概念がここにある。金がなくなりゃ文化も廃れるということであるが、本当だろうか。
ほとんど、当たっているが、よく考えてみると、文化財の生み出された当時の社会は、それほど金満状態でも無いと思われるのである。極端な話、生活や命さえも捧げて、あまたの文化財は生み出されてきた。強烈な求心力で、人間の力を集結させた結果が、文化財となるのである。金さえかければ、いいものが後世に残るとは限らない。文化財は、物であると同時に、価値である。文化財の価値は、人間にしか理解されず、人間にしか通用しないのである。人間的価値が金を集め、新たな価値を物を借りて創造し、それが文化財として残るのである。
精神的価値だけを追求してきた神社や寺院が、無数の文化財を生み出してきたという歴史的真実を、よくよく考えていただきたい。
仏教の二大潮流は唯識観と空観である。全ての現象を唯心論的に解釈する唯識観が金剛界系に発展し、全ての現象は無自性であるとする空観が胎蔵系に発展する。これはつまり、見る側(唯識)と見られる側(空)があるということで、この二つが分離している間は実際の所、悟りはない。どちらか片方で間に合う事になってはいるが、真言宗では金胎不二とやかましく言うことになる。真言宗では、密教を金剛頂経(金)と大日経(胎)の純密と、それ以外の雑密に分類するが、純密よりもまだ先に不二の何かがありそうな気がしてくる。
天台宗では金剛界、胎蔵と蘇悉地で一組に考えている。チベット風の分類によれば金剛界がヨガタントラ、胎蔵が行タントラ、蘇悉地が所作タントラとなって、蘇悉地は素朴な状態の密教ということになる。しかし、天台ではこの蘇悉地を金胎不二の妙成就として極めて重視する。天台密教には蘇悉地が絶対に必要である。慈覚大師によって注釈が書かれているが、蘇悉地経には主として密教を実習する上の、こと細かな所作が書かれている。これが、なんでそれほど重要なのだろうか。実際、蘇悉地の属する仏頂系の経軌はかなり多いのである。
実は、この蘇悉地経の主尊は金輪仏頂である。密教の中に釈尊の加持力を明確に取り入れるのに、金輪仏頂の日輪が必要とされるのである。密教は仏滅後、仏陀観が深まり拡大して出現する。仏滅後の仏教の最終的根拠は仏舎利であるが、これが密教化して金輪仏頂となる。唯識観と空観は、仏舎利の威徳によって支えられている。月は太陽からの光を受けて輝く。見る側の唯識から生じた月輪(金剛界大日)と、見られる側の空観から生じた月輪(胎蔵大日)は、熾盛の日輪(金輪)によって照らされて輝くのである。
空・仮・中の一心三観も、空(胎)・仮(金)・中(蘇)に当てはめることが出来るかもしれない。法性寂然(止・胎)・寂以常照(観・金)・無二無別(円頓・蘇)となる。諸々の悪を為すことなかれ、諸々の善を奉行せよ、自らその意を清くせよ、とあるが、蘇は通奏低音のようなものか。
仏滅後も、釈尊の大慈悲の力は金輪の威徳として生きている。菩薩の永遠の活動は、太陽に照らされる月のように、釈尊によって今も支えられている。釈尊の光明は、我々の慈悲の行為の中に輝く。もしこれが単なる空想であるなら、仏教への信仰はそれで終わりとなる。