孤独

霊感体質の人は、強い孤独感からなかなか抜け出せない
感受性が強く、色々感じるが、分かち合う人がいない

誰にも見えない物が見えたり、聞こえたりする
平たく言えば「頭がおかしくなったんか?」と思ったりする

自分で自分の感触が信じられない、理解できない
だから、似たような経験談をする人や、ご高説を書いた本など素直に信じられない

まあ、自分の限界を自分で決めて、タコツボに入り込んで出てこないってのは、半ば本能かもしれんしね

それと
自分の過去世のカルマなどから
色々な心霊現象と戦わなければならない
孤独な、そして壮絶な戦いになる

それは、だれにも説明できない
わかってもらえない

敗れ去って、人格崩壊する人を何人も見た


やはり、信仰は必要だと思うよ





2005-09-12

予感

予感は、あった

今度の選挙
今までとは違っていた

本堂の前に、「願い事帖」を置いて、家内安全とか身体健全とか、諸々、願い事を書いていただいているのだが、「小泉続投祈願」を願う書き込みがあった。
ホームページの願い事コーナーにも、同様の書き込みがあった。
こんなこと、いままで無かった。

なんでも願い事を書けばいいのだから、自分の身近なことを願えばいい。
しかし、小泉続投を願った。

なにか雰囲気が違う。身近な人たちの間で話題になった。
「なんだろ、あれは」

結果、与党歴史的大勝

色々言う人がいるが、これを良い方向に向けましょうよ
優秀なる公務員諸君、我こそはと思う議員諸氏

僕らも手伝おう

他に、選択肢はないよ
これからは、この選挙結果がスタートだよ





2005-09-11

「愛」について

仏教では「愛」についてどのように考えてきたか、ふれてみたいと思います。

現今の文章表現の中で「愛」は男女間の恋愛感情に止まらず、広範囲の意味で使われています。恋愛も「愛」だし性愛も「愛」、親子の愛も「愛」、人類愛も「愛」ということになります。

ただ、仏教の伝統では「愛」という言葉は、自己愛と妄執が根底にある「個人的感情」の意味で使われてきました。親愛→欲楽→愛欲→渇愛→煩悩と進んでいくと捉えています。
そして、自己満足と我執を離れた「愛」を、「慈悲」として、「愛」と「慈悲」は全く別のものと考えています。

言葉の意味から言うと、「慈」とは最高の友情、つまり、すべての生きとし生けるもの全てへの友情をさします。「悲」とは自ら苦しみ嘆いた経験をもとに、同じく苦しみ嘆くものへ深い共感をもつことをいいます。
ですから、仏教では、この「慈悲の心」から抜苦与楽の活動をすることが理想の生活態度だと考えています。

「愛」に「理解」と「共感」が無ければ、深まれば深まるほど、迷宮にさ迷いこんだ「身勝手な愛」になっていく、ということでしょうか。



2005-09-10

スピリチャル

飯田先生の講演会で、「スピリチャルを翻訳すると霊的といったら心霊現象のようだし。近い言葉は”魂の世界”か、どうもぴったりくるような翻訳が無い」という話を聞いたけど。スピリチャルって言いにくいね。
これは、はやらんなー。残念だ。言いやすければ、もっと一般の人に広まるだろうに。

霊的精神世界から、宗教的コスモロジーを引っこ抜くと、スピリチャルになるのかな

宗教も嫌われたもんだよ。でも、しゃーないか。偉そーにしすぎた



2005-09-09

シロアリ駆除の調査

こんど、ダウケミカルが日本で新しいシロアリ駆除の薬品を発売する。すでにアメリカで認可された薬品の実証試験。





2005-07-13

灯籠のテスト

五色の灯籠です



2005-07-11

ギャラリーメイスン

不思議な石がたくさんあります



2005-07-08

夏薬師

多喜寺の会式



2005-07-07

灯籠

8月20日に参道で灯明供養をします これはテストです



2005-07-04

睡蓮






2005-06-21

石屋さん

メイスンキタニの本社です

 

資料館

脇阪さんと境内にある資料館の仲谷先生を訪ねて戦災資料をしらべる

2005-06-10

 

 

家から20分のところにある

2005-06-09

 


 

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