護摩焚きました

2007.05.28

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28日はお不動さんの縁日ですので、護摩を焚きました

護摩は、その日の調子の善し悪しが、わりとはっきり出ます
日を決めて焚いていると、どうも、護摩の日になると、だるーく、眠ーくなります
「因縁が来てる」って言うんですけど、まあ、救いを求めてる霊などが来るんでしょうね

ちょっと前までは、本堂の前に護摩木を置いておいて無料で願い事を書いてもらってました
もう、山のように添え護摩木が貯まるんです、これは、もう、体が持たないので中止しました(情けねー)
護摩の日になると、だるくて、だるくて、もう立っていられない位疲れるんですよ

今は、添え護摩木も多くなく、それでも、当日はかなりだるいですが、焚き始めると、スッと爽快になります

調子がいいと、自分の体のまわりにお不動さんの火炎のような揺らめきがあるのがわかります
きっと加持してもらってるんでしょうね
ほんとは毎日焚くといいように思いますが、なかなか、時間がとれなくて出来ませんね


それで、護摩を焚くとき、いろんな願い事が護摩木に書いてあるんですが、それとは別に、やはりその時一番気になっていることが心に浮かびます

今日はですね、Blogでいつも書き込みをしてる方達のことが、真っ先に心に浮かびました
なんか、ほんとに、感服するというか、感心するというか、坊さんと違って、営業トークがない、ありのままの言葉で不思議な感覚や霊の世界のことを書いている人がけっこういるわけです
霊の世界のことは、丸裸になって一人で立ち向かわなければならないようなところがあって、なかなか、助け合うということができません
心配だなあと思っても助けられないことが多いです

僕は、何回も挫折して、自分の無力を思い知らされてますよ

まあ、それでも、心配なことは心配なわけで、護摩を焚いているとき、少しでも助けたいという気持ちで焚きました
心は繋がってるわけですから、すこしは、なにかの足しになったでしょう

 
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心霊「主義」について

2007.05.24

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よく言われるスピリチュアリズム

sipiritual と ism のくっついたもんです

日本文化の伝統的な世界で言えば、イタコの口寄せが近いかな
あの恐山でやってる、死者の霊を呼び出してイタコの口から語る、というやつ

シルバーバーチとか、霊から教わるという考え方

イギリスで最初に心霊主義が発達したのは、南ヨーロッパのようにカトリックの締め付けが厳しくなかったからでしょう
似たようなことは世界各地にあるわけで、人類の普遍的な現象と言ってもいい

僕は、そういうことがある、ということは否定しない立場です

ただしかし、これは経験的に言えることだけれど、この霊さんがですね、元を正せば人間です
これは、人間を経験してない高級霊だとか自然霊だとかいろいろ言いますが、今生きてる我々も霊だからね、それを言うなら

霊vs霊 なのであって、賢い善い霊もいれば、わけのわからんのもいるのが、ごく自然な有様なのですよ

これはもう、人vs人 でも同じことで、霊だからスゴイ、霊だから有難い、などという根拠などどこにもないです

人にだってスゴイ人はいるし、人にだって有難い人はいるわけで、霊を特別視するのは、一種、偏見ですな

それで心霊に「主義」とつけちゃうと、なんでもかんでも心霊、なんてったって心霊、なわけで、心霊で割り切ろう、てなことになってくる

あー、共産主義とか、自由主義とか、主義ですね
「主義」など、アホくさいから、いい加減にせいよ、というのが結論だね

どえらい霊もいるかもしれんけど、つき合いきれない奴が、これがまた多いからね
なんでもかんでも、ありがたがらないことですよ


それから、ついでに書いとくけど
テレビに出てる霊能タレントさん

べつだん能力を疑うんじゃありませんけどね

たとえば、あれが医者なら
公開で、芸能人だけ診察する医者がいますか?
だいたい診察室を公開するなんて、あり得ないでしょ
病気の診断と診療は、家族だってなかなか立ち会えないんじゃないの

まあ、ショーなんですよ
お忘れなく

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