現行の天台宗の戒律をご紹介します
下記のようなことを、比叡山の戒壇院(国宝)で授かります
天台宗の戒律
正授戒
攝律儀戒を守り
道心ある人となります
攝善法戒を守り
能く行い能く言う人となります
攝衆生戒を守り
一隅を照らす人となります
戒
不殺生戒
あらゆるものの命を大切にいたします
不偸盗戒
いかなるものでも無断で自分のものといたしません
不邪淫戒
人の道にはずれた行いはいたしません
不妄語戒
うそ いつわりは申しません
不邪見戒
自分勝手な考えを慎み 正しい分別に従うようにいたします
正道(聖い法の道)
第一
正見 正しい見解をもつこと
第二
正思惟 正しい意志をもつこと
第三
正語 正しい言葉で真実を語ること
第四
正業 正しい行為をすること
第五
正命 正しい生活を充実すること
第六
正精進 正しい努力をすること
第七
正念 正しい動かざる心をもつこと
第八
正定 正しい精神を確立させること
円頓戒本尊像 長保寺蔵
絹本著色 明治21(1888)年
お釈迦様が本尊で、左右前方に比丘形の文殊・弥勒菩薩が配置されます
長保寺にある画像には、上部に月輪、日輪などの神秘的な図形がありますが、それぞれに意味が込められています
これが、比叡山で行われてる圓頓戒です
戒律としては極めて単純なものです
しかし、これだけのことでも、書かれたとおり、ちゃんと守れる人は、聖人です
絶対に、ちゃんと守れません
それで、布薩(ふさつ)と言って、いわば反省会をすることになっていますが、天台宗では、比叡山の伝教大師の御廟の待真僧(じしんそう 12年籠山行をしている阿弥陀仏を感得した行者 感得するまで毎日三千回五体投地の礼拝をする)さんだけでしょう、ちゃんと布薩をしてるのは
梵網戒經に基づいて布薩を行います
http://www.chohoji.or.jp/TENDAI2/2data/01/29.txt
汝是當成佛。我是已成佛。
常作如是信。戒品已具足。
汝(修行者)はこれ、まさに仏になる、我(釈迦如来)はこれ、すでに仏になれり
常にかくの如き信をなせば、戒品はすでに具足す
と、まあ、自分がこれから仏になるのだと確信すれば、戒律は自ずと備わります
戒律に書かれていることを、一々ちゃんと守ろうとすると、たぶんノイローゼになるでしょう
しかし、圓で頓に法界と繋がれば、意識せずとも、戒律に則った生活ができるようになります
あれをするな、これをするな、ではなくて
法界と繋がれば、それでいいのです
それにしても、これだけ立派な戒律があるのに、なんで、クソ坊主が多いんだ、と思うかもしれません
そりゃそうなんですが(^^;)
戒律があっても守れないんですから、無ければもっとめちゃくちゃでしょう
道路交通法のようなもんです
速度制限があっても取り締まりが無ければ、けっこう誰でもかなりのスピードで走ります
スピード違反やちょっとした反則はだれでもしたことがあるでしょう
それでも、道路を走るのに、全く何の制限も規則も無ければ、大混乱になります
どうせ守れない戒律なら無いほうがいい、という考え方は、道路交通法が無い道を自動車が走り回る社会を想像してみたらいいんじゃないですか
残念ながら、なんのルールも無い社会では、正面衝突だらけになって、まともな生活はできなくなります
ですが、ずっと法律を考え考え、車の運転をしてるわけじゃありません
慣れてしまえば、無意識に運転できます
同じ様に
法界とつながれば、ルールに縛られなくても、うまくいきます
論語
子曰はく、
「吾十有五にして学に志し、
三十にして立つ。
四十にして惑はず、
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ひ、
七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず。」と
先生はおっしゃった、
「私は十五歳で学問に志し、
三十歳で自立した。
四十歳で狭い枠にとらわれないようになり、
五十歳で天命を知った。
六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになり、
七十歳で心の欲するままに任せても限度を超えなくなった。」
圓頓章(えんとんしょう)
圓頓者。初縁實相。造境即中。無不眞實。
繋縁法界。一念法界。一色一香。無非中道。
己界及佛界。衆生界亦然。
陰入皆如。無苦可捨。
無明塵勞。即是菩提。無集可斷。
邊邪皆中正。無道可修。
生死即涅槃。無滅可證。
無苦無集。故無世間。
無道無滅。故無出世間。
純一實相。實相外。更無別法。
法性寂然名止。寂而常照名觀。
雖言初後。無二無別。
是名圓頓止觀。
當知身土 一念三千 故成道時
稱此本理 一身一念 遍於法界
続く