仏教は、「我は無い」という立場をとっています
無我ですね
でも、普通考えると、我々には、自分という感覚があって、あなたと私は違うし、当然ながら別々の人格です
「我は有る」としか考えられないわけです
で、それを、魂とか、自我とか言うのですが・・・
しかし、それは、感覚器官で感じるこちら側の世界のことで、「感じる前の世界」には、やはり我はありません
とにかく、自分とか自分以外とか感じる前のことですから、実際は、我も無我も両方無いことになります
銀河系には2000億以上の恒星があるそうですが、宇宙全体には、そのような銀河が1000億以上あるらしいです
しかし、それは、眼で観測して数えるからで、響きとしてとらえれば、実はたった一つの響きしかありません
Barred Spiral Galaxy NGC 1300
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響きは、華厳経でいう、無尽重々縁起で繋がっています
般若心経によれば、不生不滅不垢不浄不増不減です
まあ、波動のようなものと思えば、どこまでも無尽重々縁起で繋がっていて不思議は無いです
「感じる前の世界」なんですから、生滅とか浄不浄、増減など、感じてないわけです
感覚器官でとらえて、心に再構築された、こちら側では個別の存在も、「感じる前の世界」では、響きあい繋がって、不可分の存在です
自分を自分で、見る、聞く、感じる、その前は、これはどうしても、どのような状態かわかりません
絶対に、わかるはずがありません
見ても、聞いても、感じてもいないんですから
目の前の手の平を見て、ぱっと眼をつぶっても、もちろんそこに手の平があります
でも、見てないんだから、どのような状態か、絶対にわかりません
「感じる前の自分」を知ってる人はいないのです
それで
想像力を働かせてください
「感じる前の自分」はいったいどうなっているのか
宇宙飛行のような無重力状態
真っ暗闇で無音の温水プールに浮かぶ瞑想
自律訓練法による、感覚制御
一点集中による、制感
など、普段の生活の感覚から解放されると、「感じる前の自分」に一歩近づくわけです
「感じる前の自分」は、整然とした因果律を持ち、2000億の恒星のある銀河が1000億集まった輝きを持ち、過去現在未来の全ての叡智と繋がっています
つまり、それが、仏教で言う無我です