「ガイアの夜明け」で放送されます

2007.12.11

先日ご案内いたしました「ガイアの夜明け」の放送予定が決まりました

テレビ東京、テレビ大阪
1月8日(火)夜9時(予定)

系列局では若干ずれるかもしれません
和歌山で見れるかどうか不明(^^;)

僕も多分どこかに出るかもしれませんが、わかりません

 
オウム事件以後、番組前に内容を教えることはしなくなったそうです

  
金剛組の再建の話、のはずです(^^;)

 

 

両陛下、比叡山延暦寺に行幸啓

2007.12.04

ファイル 106-2.jpg

 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで開催された「第二十七回全国豊かな海づくり大会」にお越しになった天皇皇后両陛下は、十一月十三日、総本山比叡山延暦寺に行幸啓になられた。比叡山への行幸啓は、昭和五十年に昭和天皇皇后両陛下がお立ち寄りになられて以来三十二年ぶりのことで、両陛下の根本中堂や国宝殿への御内覧は初めて。同日、比叡山は大きな慶びに包まれた。

 天皇皇后両陛下は、同日お泊まり所の琵琶湖ホテルを出発され、午前十時二十四分、延暦寺大書院に御着になられた。
  両陛下は、清原恵光延暦寺執行の御先導により、
半田孝淳第二百五十六世天台座主貌下
小堀光詮三千院門跡門主
菅原信海妙法院門跡門主
井深観譲滋賀院門跡門主
叡南質範毘沙門堂門跡門主
東伏見慈晃青蓮院門跡門主
濱中光礼天台宗宗務総長
が大書院前にてお出迎えになる中を、大書院旭光之間に進まれた。
  旭光之間では、半田座主貌下が「私どもは、毎年四月四日から一週間、御修法を厳修して国家の平安と皇室の安泰を御祈願しております」と御挨拶されると、天皇陛下は「大変ご苦労様」とのお言葉をおかけになられた。
  また半田脛主狽下は皇后陛下に「皇后陛下におかれましては、多くの人々にお優しいお言葉をおかけくださり、私ども涙が流れるほど嬉しい思いで一杯でございます」と御挨拶されると皇后陛下は、優しく頷かれ「比叡山の紅葉は大変きれいですね」と微笑まれた。

 両陛下は、旭光之間にて半田座主狽下の御挨拶を受けられたあと、十時四十六分根本中堂に御着になられた。 そして、森川宏映延暦寺長揩フ御先導により根本中堂内に向かわれた。根本中堂では不滅の法灯や、行幸啓のために御開扉された秘仏の御本尊薬師瑠璃光如来像を御覧になった。

 両陛下が根本中堂を御内覧になるのは、比叡山の歴史上初めてのことである。時あたかも天台宗開宗千二百年慶讃大法会結願の年であり、比叡山延暦寺にとっても、また天台宗にとっても、宗史に燦然と輝く大慶事となった。
古記には延暦十三(七九四)年、根本中堂初度落慶の時に恒武天皇陛下の御臨御を伝えているが、両陛下が行幸啓されて、根本中堂、国宝殿を御内覧されるのは、比叡山の歴史上初めて。

 このあと両陛下は、延暦寺国宝殿において小林隆彰延暦寺長揩フ御先導により、嵯峨天皇宸筆である「光定戒牒」や伝教大師筆による「天台法華宗年分縁起」(いずれも国宝であり今回の行幸啓のため特別公開)、薬師如来像、阿弥陀如来像など、数々の仏像を熱心に御鑑賞になられた。
  そして再び大書院旭光之間にて嘉田由紀子滋賀県知事、出原逸三滋賀県議会議長、安森智司滋賀県警察本部長の御挨拶を受けられた後、半田座主狽下らがお見送りする中を十一時五十二分比叡山を御発になられた。
 
 
The TENDAI jornal   No.57 2007/12/1
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両陛下が根本中堂を御内覧されました

歴史上初めてのことです

 
 

長保寺は一条天皇勅願寺で、長保という年号をいただきました

大門扁額は後宇多天皇の叔父上の妙法院二品親王尭仁様の宸筆です
http://www.chohoji.or.jp/intro/daimon.htm

寺の扁額を皇族が書くということは、その寺が天皇家の寺であることを示す為です

 

日本初の飛行

2007.12.01

28、29と和歌山県防衛協会の研修で、陸上自衛隊明野駐屯地の視察に行ってきました

ここには航空学校もあって、常時数機のヘリが飛んでいます

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体験搭乗したヘリ
 
 

で、ここで大発見

航空学校の歴代校長に徳川さんがいらっしゃいます

徳川と言っても、いろいろあるんですが、清水徳川の八代、徳川好敏少将です

ファイル 105-2.jpg

清水徳川は、田安・一橋とともに御三卿のひとつで、吉宗からの血筋で、紀州とは縁続きです

実は、この徳川好敏は明治43年(1910)12月19日、公式記録になった日本初の飛行をしています
http://kotov.ld.infoseek.co.jp/henry1910.htm
 
http://homepage3.nifty.com/gomma/tokoro1.html

使用した飛行機はフランス製です
 

 
徳川家は、幕末フランスから学んで軍制改革を進めていました
そのご縁か、徳川好敏はフランスに留学して操縦を学んだようです

今でも、明野には、創立当時からの建造物が残され、航空記念館として使用されていますが、フランス顧問団の指導で設計され、フランス瓦で葺かれた建物です

明治政府は海軍はイギリス式を取り入れ、陸軍はドイツ式ですが、軍用建築はフランス式を取り入れたそうです

 


 

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