僕を変えた神秘体験 最終回
思えば、それからは、毎日が不思議体験になった
耳をよーく澄ませば聞こえてくる音楽が、特に意識しなくても大きな音で聞こえるようになったかのように。
加行を始める前、僕は、密教系のある信仰団体に入っていた。今もあるんで名前は伏せます。(僕らの世界では知れ渡ってるよ)
そこでは、各自小さな本尊さんを授かり、かんたんな作法だが毎日日課で拝むことを中心にして、悪因縁が消滅すると言って宣伝している。教祖は超能力者だということだ。比較的理論的で、まじめな人が多くいる。
僕は素朴に、そこで勧めるいろんな拝みかたを実践した。
しかし、僕は、なぜか怒りが抑えられなくなったり、夢遊病のように自分がコントロールできなくなったりしていた。理由はわからなかった。不可解で自分の状態に釈然としなかった。
加行を始めるとき、当時の監督の○○先生に、その団体がマガイモノであることを教えられた。つまり金目当ての黒魔術の団体。
病気を治すといって、カルマの付け替えをする。(一つの病気を、治したと偽って別の信者にくっつける。次から次に付け替えればネタに困らない。)先祖供養するといって霊をあつめて、蛇に変えて、自分の眷属として使役する。みんなの前で護摩を焚けば、蛇がシュルシュル、ドクロがうじゃうじゃ。チャクラの覚醒と言っては、ぶっ壊された信者が多数。なにかうまくいけば、拝んだおかげ。うまくいかなければ信心が足りない。
なんじゃらほいと思うだろうけど、組織的にやってるところはまだまだあるよ。
宗教はすべて良心的だと思っていた僕は、当然、すごくびっくりしたが、自分の状態に納得していなかったので、すぐに事態を理解し、縁を切ることにした。
それからが大変だった。夜、僕の部屋にその団体の眷属がきて「バリバリバリ」と部屋の中を走り回った。体の回りを小さな蛇がたくさんモワーととりついて、ウトウトするとブワーっと出てきた。
僕は奥之院に100日間日参して、般若心経を100回づつ唱え縁切りを祈った。熱心だということで、奥之院の行法師の皆さんと一緒に勤行させてもらうようにもなった。
日参の結願の日、最後の礼をして顔を上げた瞬間、それまで隠れていた朝日が雲間から現れて周囲をサーっと照らし出した。やれやれ、これで終わったかと思った。でも、それが終わりではなかった。
一年で加行の監督をやめ、僕は奥之院に一週間参籠することにした。毎日、玉川で滝につかり、お大師様のお膳を上げる。
参籠していたある日、友人が雑誌を持ってきた。あの団体の教祖が記事になって顔写真がでている。
「ふーん、まだやってるんだ」という印象
その日の晩、夢の中に教祖が出てきた。あの小さな本尊を、何かの儀式で拝んでる。
僕が大師法号を唱えたら、びっくりして腰を抜かした。よく見ると、体の皮膚が蛇の鱗になっている。逃げるので、背中に剣印で弘法大師の種字を書いて、ドーンとけり飛ばしてやった。
それで、終わった。
まだ偉そうに本を出したりしてるから、気をつけてね
密教の奥深さを教えてくれたわけで、それには感謝してるよ。
ブラックな奴らは、結構、たくさんいるよ。
欲と弱みにつけこむ奴には気をつけてね。
師僧さんは養子に行けと言ってうるさかった。いやになって、高野山を去り、家でサラリーマンをやってた。今では教授になった大学の先輩が、もったいないからもう一度坊主になれといって、今の寺を世話してくれた。縁があったのだと思う。天台宗なので、比叡山で一から修業しなおした。
結局、感謝してる。今の僕の考え方は、比叡山に来てハッキリと確立した。悪いけど弘法大師は天才すぎて、仏教の流れのなかで密教の位置がうまくつかめなかった。天台四教義や本覚思想にふれて、やっと腑に落ちたよ。なんで菩薩なのかとか、法華経や念仏も密教だとかね。皆さんにはどうでもいいことだと思うけど。
さて、今の寺で落ち着いたころ、大学の寮生や学友たちとインド参拝旅行にいくことになった。八大仏跡巡拝14日間。インドや中国に、もう何回もいったけど、平成4年が最初だった。
列車やバスにゆられて、各地を巡る
僕の寺の本尊はお釈迦様だから、とりわけ、心が惹かれた
パトナからラージギルに向かったのかな、霊鷲山(りょうじゅせん)のあるところ。
昼間、ガイドさんがお釈迦様の話をしてくれた。もう何十回と参拝旅行をやってるんだから馬鹿にしちゃいけないよ。いい、話だった。
深夜、バスで長時間ゆられた。
真っ暗な車中で、ぼんやりとガイドさんの話を反芻していた。
アショカ王は碑文に「神がこの世に生まれた」と刻んだという
「神がこの世に生まれた」
その言葉を思い浮かべたとき、プツッとなにかが切れて、涙が止まらなくなった。
心が釈尊の存在感で満たされた。釈尊を強くありありと感じた。天を仰いで、泣きに泣いた。
釈尊の心に触れた。
それから僕は全く別人になってしまった。
霊鷲山で、天女がいっしょにお経を唱えているのが聞こえた。スズを振るような、ちょっと高めの清らかな声。いっしょに行った○○さんに言うと
「なに言ってんの。今、五色の竜が解き放なたれて天に昇ったんよ。あんた見えんかった?」
「えー、見えませんよ」
「まだまだじゃねー」
ガクッ
♪上には上がいるよ、あきれた♪
耳をよーく澄ませば聞こえてくる音楽が、特に意識しなくても大きな音で聞こえるようになったかのように。
加行を始める前、僕は、密教系のある信仰団体に入っていた。今もあるんで名前は伏せます。(僕らの世界では知れ渡ってるよ)
そこでは、各自小さな本尊さんを授かり、かんたんな作法だが毎日日課で拝むことを中心にして、悪因縁が消滅すると言って宣伝している。教祖は超能力者だということだ。比較的理論的で、まじめな人が多くいる。
僕は素朴に、そこで勧めるいろんな拝みかたを実践した。
しかし、僕は、なぜか怒りが抑えられなくなったり、夢遊病のように自分がコントロールできなくなったりしていた。理由はわからなかった。不可解で自分の状態に釈然としなかった。
加行を始めるとき、当時の監督の○○先生に、その団体がマガイモノであることを教えられた。つまり金目当ての黒魔術の団体。
病気を治すといって、カルマの付け替えをする。(一つの病気を、治したと偽って別の信者にくっつける。次から次に付け替えればネタに困らない。)先祖供養するといって霊をあつめて、蛇に変えて、自分の眷属として使役する。みんなの前で護摩を焚けば、蛇がシュルシュル、ドクロがうじゃうじゃ。チャクラの覚醒と言っては、ぶっ壊された信者が多数。なにかうまくいけば、拝んだおかげ。うまくいかなければ信心が足りない。
なんじゃらほいと思うだろうけど、組織的にやってるところはまだまだあるよ。
宗教はすべて良心的だと思っていた僕は、当然、すごくびっくりしたが、自分の状態に納得していなかったので、すぐに事態を理解し、縁を切ることにした。
それからが大変だった。夜、僕の部屋にその団体の眷属がきて「バリバリバリ」と部屋の中を走り回った。体の回りを小さな蛇がたくさんモワーととりついて、ウトウトするとブワーっと出てきた。
僕は奥之院に100日間日参して、般若心経を100回づつ唱え縁切りを祈った。熱心だということで、奥之院の行法師の皆さんと一緒に勤行させてもらうようにもなった。
日参の結願の日、最後の礼をして顔を上げた瞬間、それまで隠れていた朝日が雲間から現れて周囲をサーっと照らし出した。やれやれ、これで終わったかと思った。でも、それが終わりではなかった。
一年で加行の監督をやめ、僕は奥之院に一週間参籠することにした。毎日、玉川で滝につかり、お大師様のお膳を上げる。
参籠していたある日、友人が雑誌を持ってきた。あの団体の教祖が記事になって顔写真がでている。
「ふーん、まだやってるんだ」という印象
その日の晩、夢の中に教祖が出てきた。あの小さな本尊を、何かの儀式で拝んでる。
僕が大師法号を唱えたら、びっくりして腰を抜かした。よく見ると、体の皮膚が蛇の鱗になっている。逃げるので、背中に剣印で弘法大師の種字を書いて、ドーンとけり飛ばしてやった。
それで、終わった。
まだ偉そうに本を出したりしてるから、気をつけてね
密教の奥深さを教えてくれたわけで、それには感謝してるよ。
ブラックな奴らは、結構、たくさんいるよ。
欲と弱みにつけこむ奴には気をつけてね。
師僧さんは養子に行けと言ってうるさかった。いやになって、高野山を去り、家でサラリーマンをやってた。今では教授になった大学の先輩が、もったいないからもう一度坊主になれといって、今の寺を世話してくれた。縁があったのだと思う。天台宗なので、比叡山で一から修業しなおした。
結局、感謝してる。今の僕の考え方は、比叡山に来てハッキリと確立した。悪いけど弘法大師は天才すぎて、仏教の流れのなかで密教の位置がうまくつかめなかった。天台四教義や本覚思想にふれて、やっと腑に落ちたよ。なんで菩薩なのかとか、法華経や念仏も密教だとかね。皆さんにはどうでもいいことだと思うけど。
さて、今の寺で落ち着いたころ、大学の寮生や学友たちとインド参拝旅行にいくことになった。八大仏跡巡拝14日間。インドや中国に、もう何回もいったけど、平成4年が最初だった。
列車やバスにゆられて、各地を巡る
僕の寺の本尊はお釈迦様だから、とりわけ、心が惹かれた
パトナからラージギルに向かったのかな、霊鷲山(りょうじゅせん)のあるところ。
昼間、ガイドさんがお釈迦様の話をしてくれた。もう何十回と参拝旅行をやってるんだから馬鹿にしちゃいけないよ。いい、話だった。
深夜、バスで長時間ゆられた。
真っ暗な車中で、ぼんやりとガイドさんの話を反芻していた。
アショカ王は碑文に「神がこの世に生まれた」と刻んだという
「神がこの世に生まれた」
その言葉を思い浮かべたとき、プツッとなにかが切れて、涙が止まらなくなった。
心が釈尊の存在感で満たされた。釈尊を強くありありと感じた。天を仰いで、泣きに泣いた。
釈尊の心に触れた。
それから僕は全く別人になってしまった。
霊鷲山で、天女がいっしょにお経を唱えているのが聞こえた。スズを振るような、ちょっと高めの清らかな声。いっしょに行った○○さんに言うと
「なに言ってんの。今、五色の竜が解き放なたれて天に昇ったんよ。あんた見えんかった?」
「えー、見えませんよ」
「まだまだじゃねー」
ガクッ
♪上には上がいるよ、あきれた♪
10 件のコメント:
blog訪問ありがとうございます。
色々とご苦労なさったんですね。
マガイモノ団体のお話、興味深く拝見しました。
本当に怒りを感じます。
素直に愛とリスペクトの道を歩んだらええやんって思うんですけど、
そうはいかんのでしょうか。
すいません。
先の発言は好好です。
何故か匿名になっちゃいました。m(__)m
(^_^)/
書き込みどうもー
腐った話のほうが、ネタ的には多いんじゃないかと思うのです
トンデモな話はいくらもあるよ
でも、Blogではできだけブライトサイドの話をしたいと思ってます
こんにちは。Terraさん。
神秘体験シリーズ、とても興味深く読ませていただきました。これが最終回ということですので、残念です。
神秘体験シリーズを読んで、この神秘体験を生かして(或いは超えて)、今、Terraさんはどのようなお考えに至っておられるのかについて興味が湧きました。
これからいろいろ教えてくださいね。
楽しみにしています。
アミさん
どもー
>この神秘体験を生かして(或いは超えて)、今、Terraさんはどのようなお考えに至っておられるのかについて興味が湧きました。
どんなって、こんなんですけど
神秘体験の話をするとき、嘘つく奴がいるわけですよ。特に商売でやってる奴。
ちょっと普通の人は考えつかないような巧妙な罠をしかけてたりする。
かっこつけてる奴は信用しませんね。経験的に。
あんまり本当のことを話すと、調伏かけてくる奴がいるから、めんどくさいんですよ
だから、Blogじゃ明るい話題中心です
でも、さわりの所くらい話すことがあるかもですね
拙ブログへのコメントありがとうございました。
こちらの神秘体験の記事拝見致しました。
「なんで菩薩なのか」について、感ずるところがあったようですが、そこのところをもっと詳しく教えていただけると幸いです。
湖南様
書き込みありがとうございます。
まとまった本としては
栗田勇「最澄」「最澄と天台本覚思想」など。
もともと日本には、何のために仏教があるのか、という実存的な問題意識が希薄だったのだろうと思います。
そこに、最澄がでて、慈悲を仏教の中心に据えるということが始まったのではないですか。
慈悲を中心に据える、理論的立場が「本覚」だろうと思います。
「一切衆生悉有仏性」です。
鎌倉仏教の、根底にもあるものだと理解しています。
同じ密教でも高野山では「本覚」ではなくて「始覚」という立場です。
徐々に成長するという立場。
悉地成就を求めて修業する必然性が出てきます。
弘法大師の「顕密の二戒を堅く保て」という厳しい戒律観も、ここから来ていると思います。
歴史的に言えば
鎮護国家の仏教しかなかった時代に「個人にとっての仏教」という道筋をつけたのが、比叡山仏教だと考えています。
右上のリンクの鐘声にも色々書いています。
パイロキネシス教ですかね^^;
精神世界系はいろいろ怖いものがありそうです。
私は最近シュタイナーに興味を持っているのですが、これってどうですかねー。
コメントがまずいようなら消しちゃってくださいね。
邦彦さん
>パイロキネシス教
知りませんねぇ
>シュタイナーに興味を持っているのですが、これってどうですかねー
よく知りません
なにか、書かれた本で、ご興味もたれたんですか
今、精神世界の現状は、実際に見える・聞こえる・感じる人たちがBlogなどで発言するようになってきました
理論への興味は、二次的なものになりつつあります
僕は学者じゃありませんから、もっと適当な方にお尋ねになったほうがいいと思いますよ
妙な書き込みをして申し訳ないです。
シュタイナーについてはちょっと読んでちょっとやってみたら実際にそうなったので混乱していましたが、よく読んだらどういう状況になるかまで説明が書いてありました。(わけわからなくてすいません)
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