2005-10-22

幻想論

幻想とか、共同幻想といったら哲学上の大問題で、まともに論じたらえらいことになるのだが、やっぱり避けてとおれない。


人は、自分の感覚器官でとらえた、光とか音とかの認識作用を通じて外の世界を理解している。推測・思いこみ・少々の知識・希望的観測・わずかな経験、などを織り交ぜて世界を理解しているふりをする。

ところが、他人は自分とは違う感覚で世界を認識している。自分がしがみついている世界像は、常に、自分勝手な幻想でしかない。
共通の認識、なるものは、決めごとにすぎない。それを幻想の共有とも、共同幻想ともいってしまえる

おおざっぱな言い方をすれば、国家も家族も幻想の集合でしかない。自分という存在も、幻想だということ。


仏教の唯識論も、世界は幻想であるという立場。
ただ、特徴は

幻想こそ現実

と考えているところ
人間の外側に物質がころがっている、とは考えていない。
物質も心識の作用の一部と考えている。
今風に言えば

イメージこそ現実

イメージコントロール、イメージトレーニング、イメージが現実を変える、等々
この辺の応用技術
密教も、この応用。

現実の本質が幻想だということを忘れれば、妄想になり、我執にもなる。

居心地のいい幻想なんてものは、タコ壺だってことなんだよなー


「幻想こそ現実」かつ「現実は幻想」と知る知性を、菩提心という
菩提心は、幻想を超越し、大慈悲と叡智に満たされている



♪現実即是幻想、幻想即是現実♪

0 件のコメント:

コメントを投稿

この投稿へのリンク:

リンクを作成

<< ホーム