コーヒーと紅茶
この宇宙の、精妙さ、不思議さ、美しさ、残酷さ
それらのことがなにかの意志の存在を感じさせてしまう
どうしてもキリスト教文化圏のひとは、創造主といった考え方から抜けられない
神にたよらなければ、救いはない
神と契約するという発想になる
イスラムも契約先が違うということ
仏教のロジックでは、諸行無常・諸法無我で、特に意志の存在を想定せず、成り行きで宇宙があるかの説明をする
ダルマを理解すれば、因果応報の世界から抜けられるという発想になる
密教では大日如来という存在があって、宇宙が統一的秩序で成り立っているという発想をする
ダルマを視覚化して寓話性をもたせれば、そういうことになる
神道は、アニミズム系の発想で、意志をもった存在が切磋琢磨しながらこの世界で活動していることを強調する
世界の構造にたいする認識にはそれほど感心がない
突いたり引いたり、ダイナミックに転変する世界からから離れない
先祖の霊、神、仏、菩薩、天使、守護霊、護法善神、妖精、宇宙人、妖怪、魑魅魍魎、邪霊、悪霊、悪魔、etc
実に様々な人間以外の存在について語られてきたが、人間と接触しなければ、興味は持たれないのだろう
人間様の都合で、善いの悪いのと騒ぎ立てる
弘法大師は十住心論で、仏教の精神世界を階層的に整理して、序列を決めたのだが
歴史の示すところ、その後の発展がなく「ああそうですか」で終わってしまった
弘法大師の場合、霊験伝説のほうが受けているのが現実
なぜか伝教大師の「大乗の菩薩思想」がその後発展を続け、比叡山から多くの天才を輩出した
ウィルバーの「意識のスペクトル」もコンセプトは十住心論に似てる
精神世界の「構造説明」よりも、「取り組む姿勢」のほうが普遍性をもつことになったという歴史的教訓からすれば、トランスパーソナルといったアプローチは学者の机の上だけのものになる可能性が高い
今日、朝、牛乳を温めて飲んだ
それからコーヒー、紅茶どちらかをいれようと思った
時々、抹茶も点てて飲む
このところ白湯も多い
うちの寺の茶店では、ショウガ湯、甘酒もだすしビール、ジュース、ワンカップもある
当然のことながら、いっぺんに全部を飲むなどということはしない
時と場合と嗜好にあわせ、てきとーに選んで飲む
同じ物ばかりでは飽きてしまう
で、その、「てきとーに選ぶ」時
どのような基準で選んでいるのか
まあ、フィーリングかな
コーヒーより紅茶がよくて、抹茶はこの時間はだめで、白湯はどうの、ショウガ湯があれで、などと講釈を延々として、序列を決め、階層構造を把握し、世界秩序に照らし合わせ、コーヒー原理主義を叫び、紅茶排斥運動をし、結局、白湯しか飲まない、などと言う人はいないだろう
コーヒー以外絶対ダメ、でもなく、人体に対する有益性による序列、でもなく、てきとーに選ぶ
てきとーに選ぶとき、従うのは、「自分の思い」ですよね
「自分の思い」が確立してるのが、ほんとの普遍性じゃないですか
キリスト教のよさ、イスラムのよさ、仏教のよさ、密教のよさ、神道のよさ、無神論のよさ、唯物論のよさ、拝金主義のよさ、共産主義のよさ、等々
それぞれ役割と長所短所をもっていることを見つめる「智慧」が必要なのではないですか
そして「智慧」を活用する「自分の思い」がどんなものかが最も大事でしょう
♪「慈悲と智慧」なんちゃったら仏教になっちゃうが、しかたねーなー、しっくりくるもん♪
それらのことがなにかの意志の存在を感じさせてしまう
どうしてもキリスト教文化圏のひとは、創造主といった考え方から抜けられない
神にたよらなければ、救いはない
神と契約するという発想になる
イスラムも契約先が違うということ
仏教のロジックでは、諸行無常・諸法無我で、特に意志の存在を想定せず、成り行きで宇宙があるかの説明をする
ダルマを理解すれば、因果応報の世界から抜けられるという発想になる
密教では大日如来という存在があって、宇宙が統一的秩序で成り立っているという発想をする
ダルマを視覚化して寓話性をもたせれば、そういうことになる
神道は、アニミズム系の発想で、意志をもった存在が切磋琢磨しながらこの世界で活動していることを強調する
世界の構造にたいする認識にはそれほど感心がない
突いたり引いたり、ダイナミックに転変する世界からから離れない
先祖の霊、神、仏、菩薩、天使、守護霊、護法善神、妖精、宇宙人、妖怪、魑魅魍魎、邪霊、悪霊、悪魔、etc
実に様々な人間以外の存在について語られてきたが、人間と接触しなければ、興味は持たれないのだろう
人間様の都合で、善いの悪いのと騒ぎ立てる
弘法大師は十住心論で、仏教の精神世界を階層的に整理して、序列を決めたのだが
歴史の示すところ、その後の発展がなく「ああそうですか」で終わってしまった
弘法大師の場合、霊験伝説のほうが受けているのが現実
なぜか伝教大師の「大乗の菩薩思想」がその後発展を続け、比叡山から多くの天才を輩出した
ウィルバーの「意識のスペクトル」もコンセプトは十住心論に似てる
精神世界の「構造説明」よりも、「取り組む姿勢」のほうが普遍性をもつことになったという歴史的教訓からすれば、トランスパーソナルといったアプローチは学者の机の上だけのものになる可能性が高い
今日、朝、牛乳を温めて飲んだ
それからコーヒー、紅茶どちらかをいれようと思った
時々、抹茶も点てて飲む
このところ白湯も多い
うちの寺の茶店では、ショウガ湯、甘酒もだすしビール、ジュース、ワンカップもある
当然のことながら、いっぺんに全部を飲むなどということはしない
時と場合と嗜好にあわせ、てきとーに選んで飲む
同じ物ばかりでは飽きてしまう
で、その、「てきとーに選ぶ」時
どのような基準で選んでいるのか
まあ、フィーリングかな
コーヒーより紅茶がよくて、抹茶はこの時間はだめで、白湯はどうの、ショウガ湯があれで、などと講釈を延々として、序列を決め、階層構造を把握し、世界秩序に照らし合わせ、コーヒー原理主義を叫び、紅茶排斥運動をし、結局、白湯しか飲まない、などと言う人はいないだろう
コーヒー以外絶対ダメ、でもなく、人体に対する有益性による序列、でもなく、てきとーに選ぶ
てきとーに選ぶとき、従うのは、「自分の思い」ですよね
「自分の思い」が確立してるのが、ほんとの普遍性じゃないですか
キリスト教のよさ、イスラムのよさ、仏教のよさ、密教のよさ、神道のよさ、無神論のよさ、唯物論のよさ、拝金主義のよさ、共産主義のよさ、等々
それぞれ役割と長所短所をもっていることを見つめる「智慧」が必要なのではないですか
そして「智慧」を活用する「自分の思い」がどんなものかが最も大事でしょう
♪「慈悲と智慧」なんちゃったら仏教になっちゃうが、しかたねーなー、しっくりくるもん♪
2 件のコメント:
>キリスト教のよさ、イスラムのよさ、仏教のよさ、密教のよさ、神道のよさ、無神論のよさ
ここまでは、わたしにも発想できたところ。
>唯物論のよさ、拝金主義のよさ、共産主義のよさ、等々
こちらは、わたしには発想できなかったところ。
わたしに足りない部分。受容能力不足のところ。
頭で考えてばかりではいけない!と、今日は昼休みに日傘を差しながら太陽の瞑想をしてみました。
光のイメージを刷り込む(笑)!
「自分の思い」を身体で確立してみようか?と今日閃きました。
今日もありがとうございました!
yukiさん
>太陽の瞑想をしてみました。
光のイメージを刷り込む(笑)!
恐縮です
わからないことがあったら、遠慮なくおっしゃってください
朝日を浴びて、時と所を選ばず、リラックスして微笑みながら、目をつぶって、心を静める
これだけで十分だとは思いますが
気分が乗った時、やってみてください
コメントを投稿
この投稿へのリンク:
リンクを作成
<< ホーム