護摩の供物
護摩といえば
どんどこ火が燃えるのですが、当然、護摩木が多いと火が大きくなります
僕も多いときは、何百本という護摩木を焚きますが、火が大きくなって天井が燃えちゃうんじゃないかと心配します
幸い、まだ燃えてませんが、燃やさないように注意して、少しずつ時間をかけて燃やして、いつまでも焚き終わらない、なんてこともあります
以前は煙をよく吸い込んだんで、最近はマスクをして拝んでます
高野山の奥之院なんかでもマスクをしてるみたいです
あやしい、なんて言ってはいけません
本人は必死です
油も燃やすので、うまく燃えないと、煙が凄くでるのです
眉毛が焦げちゃったり、火の粉で衣に穴があいたり、いろいろあります
で、この火の大きさを威力と思っちゃいけません
こりゃつまり、煩悩のかたまりが燃えさかっているわけで、煩悩やら業障が多いほど、火も大きくなるってことです
護摩を焚いてるといろんなことがあります
一番最初に不思議なこともあると感じたのは、高野山で加行監督をしてるとき
どんくさい奴がいて、道場でみんなで並んで護摩を焚いているとき、壇の上で居眠りを始めたわけですな
朝の3時からやりますからね
それで、回りの友人たちが、面白がって、護摩の供物の大豆や小豆をそいつめがけて投げてぶつけて遊んでるわけです
まあ、善意に解釈すれば、眼をさますようにしたわけですが、監督としては、護摩焚いてるときなにしてるってことです
それで、後で居眠りしてた奴に話を聞いたら、きれいなキャンディーやお菓子が自分めがけて飛んできたっていうのです
護摩木は煩悩のかたまりで、智慧の火で燃やし尽くすのですが
大豆・小豆・白ゴマなど護摩の供物は、智慧の火で燃やして、一切の仏菩薩に供養する意味があります
そのとき
「投ずるところの供物、本尊の心蓮台にいたり、その身から種々の供養雲海を流出して、一切の仏菩薩声聞縁覚および一切の諸天に供養す」
と観念します、えっと、イメージするわけですね
それから、エイッと、火の中にいれます
で、その供物を護摩の火の中に投げ入れるんじゃなくて、となりで居眠りしてる奴に投げたら、キャンディーになって飛んでいった、というお話です
今考えると、あいつは居眠りしながら仏さんになっとたのか、ってことですが、まあ、修業中ですから、居眠りしながらは誉めない方がいいでしょう
明恵上人は、ずっと自分の夢を記録して、19才の時から40年間、一日も休まず書き続けたのですが、読んでみると、なんか、いつも拝みながら寝てるんですね
それで、見た夢を書いてる
なんか明恵さんの場合、明晰夢も禅定も境目がなかったようで、仏さんの前で、寝てるんだか起きてるんだか、じっとしてても怒られない仕事っていったら坊さんしかないでしょうから、まあ、天職ではあったのです
坐禅なんか、カッコを凄くこだわるのですが、こんなことから、僕は、どうなのかなと思ったりするわけです
ま、エレガントであるにこしたことはありません
あれが、ひっくりかえって寝ててもいい、なんてことになったら、まあ、坐禅は滅びて無くなってるでしょう
なんか、他の不思議な話も書きたかったんですけど、ここまでで長くなったので、いずれまた、ということにします
♪昼寝を馬鹿にしちゃいけません・・・なのかな♪
どんどこ火が燃えるのですが、当然、護摩木が多いと火が大きくなります
僕も多いときは、何百本という護摩木を焚きますが、火が大きくなって天井が燃えちゃうんじゃないかと心配します
幸い、まだ燃えてませんが、燃やさないように注意して、少しずつ時間をかけて燃やして、いつまでも焚き終わらない、なんてこともあります
以前は煙をよく吸い込んだんで、最近はマスクをして拝んでます
高野山の奥之院なんかでもマスクをしてるみたいです
あやしい、なんて言ってはいけません
本人は必死です
油も燃やすので、うまく燃えないと、煙が凄くでるのです
眉毛が焦げちゃったり、火の粉で衣に穴があいたり、いろいろあります
で、この火の大きさを威力と思っちゃいけません
こりゃつまり、煩悩のかたまりが燃えさかっているわけで、煩悩やら業障が多いほど、火も大きくなるってことです
護摩を焚いてるといろんなことがあります
一番最初に不思議なこともあると感じたのは、高野山で加行監督をしてるとき
どんくさい奴がいて、道場でみんなで並んで護摩を焚いているとき、壇の上で居眠りを始めたわけですな
朝の3時からやりますからね
それで、回りの友人たちが、面白がって、護摩の供物の大豆や小豆をそいつめがけて投げてぶつけて遊んでるわけです
まあ、善意に解釈すれば、眼をさますようにしたわけですが、監督としては、護摩焚いてるときなにしてるってことです
それで、後で居眠りしてた奴に話を聞いたら、きれいなキャンディーやお菓子が自分めがけて飛んできたっていうのです
護摩木は煩悩のかたまりで、智慧の火で燃やし尽くすのですが
大豆・小豆・白ゴマなど護摩の供物は、智慧の火で燃やして、一切の仏菩薩に供養する意味があります
そのとき
「投ずるところの供物、本尊の心蓮台にいたり、その身から種々の供養雲海を流出して、一切の仏菩薩声聞縁覚および一切の諸天に供養す」
と観念します、えっと、イメージするわけですね
それから、エイッと、火の中にいれます
で、その供物を護摩の火の中に投げ入れるんじゃなくて、となりで居眠りしてる奴に投げたら、キャンディーになって飛んでいった、というお話です
今考えると、あいつは居眠りしながら仏さんになっとたのか、ってことですが、まあ、修業中ですから、居眠りしながらは誉めない方がいいでしょう
明恵上人は、ずっと自分の夢を記録して、19才の時から40年間、一日も休まず書き続けたのですが、読んでみると、なんか、いつも拝みながら寝てるんですね
それで、見た夢を書いてる
なんか明恵さんの場合、明晰夢も禅定も境目がなかったようで、仏さんの前で、寝てるんだか起きてるんだか、じっとしてても怒られない仕事っていったら坊さんしかないでしょうから、まあ、天職ではあったのです
坐禅なんか、カッコを凄くこだわるのですが、こんなことから、僕は、どうなのかなと思ったりするわけです
ま、エレガントであるにこしたことはありません
あれが、ひっくりかえって寝ててもいい、なんてことになったら、まあ、坐禅は滅びて無くなってるでしょう
なんか、他の不思議な話も書きたかったんですけど、ここまでで長くなったので、いずれまた、ということにします
♪昼寝を馬鹿にしちゃいけません・・・なのかな♪
5 件のコメント:
こんばんわ。
起きているのと、寝ているのと、その境目って結構重要?(なにが重要?)なんではないかと思うのですが...
私の場合、その境目あたりでビジョンを見たり、
霊体験をしているような気がします。
その境目をコントロールできたら楽しいかもしれません。
spiritwalker さん
>その境目をコントロールできたら楽しいかもしれません。
向こう側をかいま見るから、境目があるのに気がつくわけで
あんがい、テーマが発見されれば、そこからは早いのかも
昔からのいろんな修業は、そのために工夫されてきたのでしょうね
こんばんは。
のなぞーさんのところに書き込みされてるTERRAさんはこちらのTERRAさんと同一人物ですか?
sonaeyo_tuneniさん
あれ?
違います
同じハンドルネームの方なんでしょう
Blog拝見してますよ
お元気そうで、なによりです
terra様、それは失礼しました。
ブログ見てくださってるんですね。
ありがとうございます。
母子ともども元気でやっています。
最近は曇っていてなかなか朝日浴びが出来ませんが。
コメントを投稿
この投稿へのリンク:
リンクを作成
<< ホーム