説明すると、また、わかりずらいことを長々と書くことになるんだけど
密教では、本尊をイメージするとき、ほとんどは月輪観といって、月のように球形の白いボールの中に本尊を観相する
まれに日輪つまり太陽の場合もある
愛染明王と金輪仏頂は太陽の中に観相する
実は、僕の寺の本尊は金輪仏頂なのです
見た目はお釈迦様で、お釈迦様として拝むこともできるのですが、仏像の配置が陀羅尼集経というお経の金輪仏頂像法に書かれたとうりの方法でまつられている
お釈迦様の左右に普賢菩薩と文殊菩薩がいて、それを四天王が囲んでいる
これは、よくある配置で、これだけなら、普通の三尊形式ということになるのだけれど、陀羅尼集経では、お釈迦様が座っている蓮の花の茎が法輪だと言うことになっていて、うちの場合、仏像が配置してある壇の腰に、特殊な法輪が飾られている(法輪はこのBlogの左肩でくるくるまわっている輪のことです。お釈迦様が法を説くのをたとえて、このようなシンボルが、インドで仏像が作り始められるより前から使われていました)
お経では、お釈迦様の頭上に飛天がいることになっているんだけど、見あたらない
よく探してみると、導師の座る頭上にある天蓋のなかに飛天が描かれていた
完璧に、金輪仏頂像法を理解して仏像を配置している
金輪は、つまり太陽のことです
仏頂は、仏様のあたまがポッコリとふくらんでいる部分のことで、一番尊いことの喩えです
日本密教では、普通に金輪といえば、天皇のことをさします
最も尊い太陽のような存在だからです
僕の寺は天皇の勅願寺ですから、非常にまれな金輪仏頂像法でお釈迦様をまつることが許されたのでしょう
真言密教では金剛界法、胎蔵法を両部といって、これしかないのですけど、天台密教はこのほかに蘇悉地といって仏頂法を拝みます
仏頂法は歴史的に分析すると、仏舎利の供養法です
これは、僕の仮説ですが
仏滅後、仏教徒はなにを中心に修業をしたらいいのか大変困ったと思います
それで、お釈迦様がいなくなっても、その残した舎利(つまり骨)を供養することにした
我々からすれば、お釈迦様が、本当に存在したということの物的証拠です
僕はインドで実物を見ました
蒸し暑い博物館の中で、仏舎利の回りだけ気持ちよくひんやりと冷たかったのを覚えています
で、この仏舎利がだんだんと神格化されていって、金輪になる
つまり太陽
密教では愛染明王意外の仏さんはみな月輪のなかに観相します
月、つまり、太陽に照らされて光る天体です
密教の作法で、真言を唱えるとき、必ず最後にこの金輪の真言を唱えなければなりません
唱えないと、いままで唱えたすべての真言の功徳が無くなるとされています
つまり、すべての真言は金輪の太陽に照らされて月のように輝くのです
金輪仏頂は威徳最尊と言われ、夜、天にどれほどたくさんの星があっても、太陽が出ればその輝きで見えなくなってしまうように、すべての仏菩薩の功徳を上回るほどの力があるとされています
阿弥陀如来も薬師如来も観音様もお地蔵様もお不動様も、お釈迦様意外の仏菩薩は皆、実際にいた歴史上の人物ではありません
架空の存在かもしれませんが、お釈迦様だけは骨を残した歴史上の存在です
仏教のリアリティーの最終的な根拠は仏舎利です
で、この仏舎利を神格化したのが金輪仏頂です
それで、おこがましいのですが
自分の寺の本尊ですから、僕はいつも、この金輪仏頂を拝んでいます
シンプルですが、非常に特殊な拝み方です
その一部が孫さんのイメージとよく似ているのです
巨大な太陽と暖かく感じるのが違うけど、これはまねることにします
僕は
光の瞑想で、太陽をイメージすることを最近付け加えて書いたのですが、これは、普段いつもやっています
真夏の真昼の太陽もいいと思います
もっとも強い太陽のイメージです
それなりに、深い意味があるということです
苫米地さんの洗脳の本に、ホメオスタシスという概念があって、より強い自分自身のイメージを持っていないと、強力な洗脳に負けてしまうことが書いてありますが
地球に棲む人間としては、太陽より強いイメージはないですから、どのような強い洗脳や憑依霊もはねのける強さを身につけることもできるようになります
精神的に強くなるように、太陽を見ることをお薦めしていますが、実は、奥深い意味があったのですよ
気功とか生命エネルギーとか、色々とらえかたはあると思うのですが
太陽そのものではなくて
直感的に太陽のイメージをとらえて、そのイメージを瞑想に応用できるということですね
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