2006-01-05

ほほえみ

仏教の伝統的な専門用語でいうと六波羅蜜(ろくはらみつ)ということになるんだけれど、壇・戒・忍・進・禅・慧ですね

禅によって慧が生じる、という順序になってます


壇は慈悲、慧は智慧ですから、(戒・忍・進・禅)が神仏に祈るプロセスを含んでるって考え方になります


慈悲をこころがけ 壇
神仏に導きを祈り 戒・忍・進・禅
智慧を深める   慧


智慧が正しく生じるには、その前に(戒・忍・進・禅)が必要だという思想でもあります

慈悲が入り口で、ここから入らないといけませんが、智慧ですね、ここに至るには、その前に禅、つまり瞑想が必要ということになります

瞑想といっても、広い意味にとらえれば、神仏に手を合わせて願う、といったことも瞑想だと、まあ、かーなり広い意味になりますが

理詰めに言ってしまえば、慈悲をこころがけ、悪いことをせずいいことをして、忍耐つよく、精進努力し、瞑想すると

悪いことをせずいいことをして、忍耐つよく、精進努力するというのは、慈悲心から生じるわけですが、こういった倫理観がやはり必要だというのが、まあ、宗教ですよね


それで、この瞑想がないと、慈悲と智慧の統合ができない、ということです


唯識観と空観の統合、感性と理性の統合、右脳と左脳の統合、慈悲と智慧の統合、これつまり悟りなんですが、瞑想してくださいってことです

たとえば、音楽CDがあってですね、どんな曲で(感性)、どんな評価をするか(理性)
で、それには、実際に聞いてください(統合)、と、わかりきったことですけど


これは、壇・戒・忍・進があれば、あとは、ただ坐れば、禅が自然に生じるってのが正当派です

慈悲深く、精進努力し、しばし静かに坐る、と、いいヒラメキが生まれる

それで、十分だ


とまあ、そういうことなんですが、仏教は2500年もやってますんで、いろいろ工夫や飾りが発達してきました

で、神仏に祈るってことになるんですけど、これですね、つまり、神仏は先輩ってことになるわけです
慈悲と智慧の統合をしていけば、神仏(悟り)に近づいちゃうんですから、神仏は究極の完成形ですね

それで、学びを終えた先輩である輝き達が、僕らを守り導いてくれるということです

ですから、神仏を信じなさいってよく言いますが、信じるも信じないも、自分の慈悲心は神仏まで一直性に繋がってますんで、慈悲心を大事にしてれば、神仏を信じてることになってしまいます

仏教的には、輝きを発する光源が仏様、輝きが導いてくれている時が観音さんや地蔵さんなどの菩薩様、輪廻の世界にいながら輝いて僕らを守っているのが神様、ってことかなー

まあ、大日如来って、つまり、大きな太陽ってことです

それで、輝きに導いてもらって瞑想したらうまくいきますよ、ってことになります

だから、神社やお寺にお参りしましょうってことです

で、そうやって輝いてると、あなたも菩薩です、というのが仏教です

輝いていると、自然と、ほほえんでいます

人はいろんなとき、ほほえみますが、輝いているときも、ほほえんでます



また、長々と書きましたが(汗)

慈悲と智慧が統合したら、静かな「ほほえみ」があります


♪とりあえず、ほほえんでみてください♪

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