2006-01-15

「どんぶり鉢」が自我だとして、悟った状態はどんなふうになるかというと、
ネットワーク全体と同化します

これは、

重重帝網なるを即身と名づく 弘法大師

一身一念 法界に遍ず 天台大師

などと表現されています

で、つまり、「どんぶり鉢」はどうなっちゃうのかというと、それはそれで、もう関係なくなります

各人各様、脳内にイメージで作り上げたものが「どんぶり鉢」ということになります

「どんぶり鉢」こそ自分だと思いこんで執着した状態


「どんぶり鉢」が自分である、というのは、感覚器官でとらえた脳内イメージを自分だと思いこんでいる状態、ということ

それを、自我は幻想であるとも言うし、陽炎でもあるとも言います

「どんぶり鉢」を大きくする、とか、なるべく多くの「どんぶり鉢」を支配する、とか、まあ、「どんぶり鉢」への野望はですね、つまり、くだらないことです


輪廻する霊魂を、仏教教学は認めていないとか言うのですが、自我に執着した状態が、霊魂ということで、自分という幻想を抱いたままの状態
生きていれば、僕らのことで、死んだら、霊魂


悟りの世界では、自我は過去の執着の痕跡にすぎません

ネットワーク全体を俯瞰する、「心」、こそほんとうの自分だということです

それを、仏心とか仏性とか如来蔵とか無上正等正覚とか阿耨多羅三藐三菩提とか、いろいろ言うけど、「心」ですね



今、あなたが、こうしてBlogを読んでいらっしゃるのですけど、あなたの心は、脳内にあるイメージに執着して離れていないわけです

自分というイメージの産物から離れて、まあ、「執着を棄て思考停止し感覚遮断」してですね、しらふになると、そこに、ネットワーク全体が見えてくるわけです

眼に見えるまえのモニターってどんなものか考えたことありますか
耳に聞こえる前の音
感じる前の感触
理解する前の意味



今。自分が使っている言葉、過去の経験、思い出、感情、見える物、聞こえること、感じること、すべて、脳内イメージです

その脳内イメージで作り上げたのが、今の自分です

そのイメージの産物の自分に執着しているのが、今の状態です

執着を棄てれば(「どんぶり鉢」の破壊とは違います)

感覚器官からインプットされる前の、ありのままの世界を直に感じることができます

「どんぶり鉢」から解放され、ネットワーク全体と同化した、「心」を取り戻します

眼が覚めるのです


あなたにも、仏心があるのですよ

もったいないねー、いつまでも眠ってたら



悟りの世界から見れば

慈悲は、自分を助けること
カルマは、自分にたいする行為が自分に返ってくるのは当然
ヒーリングは、自然治癒力
五神通は、あたりまえ
苦悩は、感謝すれば、それで終わり
願望は、必ず実現する(カルマをお忘れなく)
今の地球は、眼の覚めていない、体のある霊魂、体のない霊魂が、住んでいるところ



♪このあたりが腑に落ちてらっしゃる方を、師匠と呼ばせていただきます♪

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