念仏
長保寺における不断念仏の式次第を記したものである。
不 断念仏とは円仁(慈覚大師)が五台山から比叡山にもたらしたもので、一定の期間中、僧侶が絶えることなく、阿弥陀仏を念ずる修法である。敬白文によると、 長保寺においては大治3年(1128)に不断念仏が始まり延慶2年(1309)まで毎年10月に行われていたことが判明する。また、それ以降もこの修法を 再整備して継続していくことが述べられている。その中で、道俗を限らず阿弥陀仏と慈覚大師に結縁して往生極楽を願っている点は、この時期の長保寺とその周 辺地域における信仰を物語っており、貴重な史料と言うことができる。
なお、巻末の部分には長保寺においてこの不断念仏が大治3年に10月1日一夜の形で始まり、保元3年(1158)には10月16日からの七日七夜に改められ、さらに正応2年(1289)には10月11日からの七日七夜、五昼夜に改められたことが記されている。
長保寺では大治3年(1128)から念仏が唱えられていました
法然さんが1133年生まれ、親鸞さんが1173年生まれですから、これは、かなり古いです
念仏はもともと天台宗でおこなわれていました
中国の五台山の竹林寺というお寺でおこなわれていた方法を、慈覚大師がそっくり比叡山に移しました
僕は五台山には2回ほどお参りしましたが、文化大革命で徹底的に破壊し尽くされましたが、今はだいぶ復興しています
五台山は中に飛行場のあるような広大な所ですが、高野山のように周囲が山に囲まれ、それが五つの大きな峯になっています
それぞれの山頂に立派なお寺があり、中国の人達もたくさんお参りしています
中央に顕通寺というお寺があって、そこに仏塔がありますが、文化大革命の時も、五台山のなかでこの仏塔だけは破壊されずに残りました
なんというか、インドの霊鷲山に匹敵するような霊威のある場所です
五台山にはお坊さんが1000人以上いるかな、厳しく戒律を守って
中国政府の考え方は、お寺の中でなら宗教活動は自由だが、お寺の外に出て説法してはならない、というものです
アジア一帯に広くおこなわれている、専門家仏教の形をとるしか道はありませんが、ものすごいパワーを秘めていますから、これから注目されるでしょう
僕の後輩で、中国仏教に留学したのがいますね
それで、念仏です
もともと念仏は、自分が死んでから極楽に行くために唱えられていました
死者のために法要をする、という考え方は仏教では比較的最近のものです
自分の修行の功徳の7分の1を回し向ける、とかお経に書かれてます(地蔵菩薩本願経)
7分の1です
死者のためになにかする、というのは、簡単に言えば、生きている人のためになにかするのと、ほとんど同じことで、相手のあることですので、ストレートに伝わるとは限りません
生きている人は、目の前にいますけれど、死んだ人はいませんから、どちらかというと、難しくなるのは当然です
僕的には、死んでから供養してもらうことをあまり当てにせずに、自分で念仏して極楽行きましょう、って言いたいです
ですが
自分に縁のあるご先祖さんは、思い出して、念仏を唱えてあげるなり、お仏壇で供養したり、お墓参りをしたりで、素直に通じます
これは、親族ですから、当然と言えば、当然ですが、ぼんやりと疎かになることもあるので、忘れないようにしてあげてください
あなたのお気持ちを、とても喜んでくれますよ
それで、よけいな話ですが
僕らのような、お寺ですと、要するに他家の供養を執り行うわけです
これは、たとえれば、自宅療養、開業医、大学病院と、同じ病気でもこじらすと、行くことになりますが、似たようなところがあります
ほとんどの場合、自宅療養で間に合います
ですが、開業医へ行けば安心です
かなりややこしい場合は、大学病院へ入院てなことになるのですが、これは、滅多にありません
開業医が自分の家のお寺で
大学病院は、霊場巡礼とか、本山参拝とかですかね
日本で年間100万人近くお亡くなりになってます、だから、世界中で、ざっと4000万人になりますかね、一年間にお亡くなりになります
だから、はっきり言って、こじれにこじれた場合もあります
何百年間も、どう供養しても成仏してくれない霊もあります
幽霊を見るって言いますが、年間、これだけ人が死んでますから、まあ、ほとんどの方は、行くべき所に行ってらっしゃって、どうしても、勘違いから解放されない、執着から離れられない方の霊が止まっていて、まあまあ、それでも少ないのだと思いますね
よく、あやしい人が、あなたのご先祖さんは成仏してない、だからこんな不幸があるんだ、とか言いますが、気にしないように
生きている人と仲良くするような気持ちで、亡くなったご先祖様のことを考えていれば、問題ありません
生きている人は肉体のある霊で、ご先祖様は肉体のない霊です
ですから、生きている人に対するようなやさしい気持ちは、そのまま同じようにご先祖様に通じます
これは、ですから、いくら立派な法要をしても、心の中で、恨んでる、非難してる、無関心、など、ご先祖様と気持ちの上で「仲が悪い」とよくありません
いろんなことがあった方も、亡くなった方のことは赦してあげてくださいね
どうしても気になる方は、霊場巡礼などなさるといいと思います
自分でいろいろ調べたり、お金を用意したり、時間を作ったり、疲れていてもがんばったり、他のことを考えずにお参りに集中したり、そんなことが、通じていきます
つまらぬ拝み屋などにひっかからないように
♪きちんと暮らす事が、親にも心配かけないし、ご先祖さんも喜ぶ、一番の方法でしょうね♪
不 断念仏とは円仁(慈覚大師)が五台山から比叡山にもたらしたもので、一定の期間中、僧侶が絶えることなく、阿弥陀仏を念ずる修法である。敬白文によると、 長保寺においては大治3年(1128)に不断念仏が始まり延慶2年(1309)まで毎年10月に行われていたことが判明する。また、それ以降もこの修法を 再整備して継続していくことが述べられている。その中で、道俗を限らず阿弥陀仏と慈覚大師に結縁して往生極楽を願っている点は、この時期の長保寺とその周 辺地域における信仰を物語っており、貴重な史料と言うことができる。
なお、巻末の部分には長保寺においてこの不断念仏が大治3年に10月1日一夜の形で始まり、保元3年(1158)には10月16日からの七日七夜に改められ、さらに正応2年(1289)には10月11日からの七日七夜、五昼夜に改められたことが記されている。
長保寺では大治3年(1128)から念仏が唱えられていました
法然さんが1133年生まれ、親鸞さんが1173年生まれですから、これは、かなり古いです
念仏はもともと天台宗でおこなわれていました
中国の五台山の竹林寺というお寺でおこなわれていた方法を、慈覚大師がそっくり比叡山に移しました
僕は五台山には2回ほどお参りしましたが、文化大革命で徹底的に破壊し尽くされましたが、今はだいぶ復興しています
五台山は中に飛行場のあるような広大な所ですが、高野山のように周囲が山に囲まれ、それが五つの大きな峯になっています
それぞれの山頂に立派なお寺があり、中国の人達もたくさんお参りしています
中央に顕通寺というお寺があって、そこに仏塔がありますが、文化大革命の時も、五台山のなかでこの仏塔だけは破壊されずに残りました
なんというか、インドの霊鷲山に匹敵するような霊威のある場所です
五台山にはお坊さんが1000人以上いるかな、厳しく戒律を守って
中国政府の考え方は、お寺の中でなら宗教活動は自由だが、お寺の外に出て説法してはならない、というものです
アジア一帯に広くおこなわれている、専門家仏教の形をとるしか道はありませんが、ものすごいパワーを秘めていますから、これから注目されるでしょう
僕の後輩で、中国仏教に留学したのがいますね
それで、念仏です
もともと念仏は、自分が死んでから極楽に行くために唱えられていました
死者のために法要をする、という考え方は仏教では比較的最近のものです
自分の修行の功徳の7分の1を回し向ける、とかお経に書かれてます(地蔵菩薩本願経)
7分の1です
死者のためになにかする、というのは、簡単に言えば、生きている人のためになにかするのと、ほとんど同じことで、相手のあることですので、ストレートに伝わるとは限りません
生きている人は、目の前にいますけれど、死んだ人はいませんから、どちらかというと、難しくなるのは当然です
僕的には、死んでから供養してもらうことをあまり当てにせずに、自分で念仏して極楽行きましょう、って言いたいです
ですが
自分に縁のあるご先祖さんは、思い出して、念仏を唱えてあげるなり、お仏壇で供養したり、お墓参りをしたりで、素直に通じます
これは、親族ですから、当然と言えば、当然ですが、ぼんやりと疎かになることもあるので、忘れないようにしてあげてください
あなたのお気持ちを、とても喜んでくれますよ
それで、よけいな話ですが
僕らのような、お寺ですと、要するに他家の供養を執り行うわけです
これは、たとえれば、自宅療養、開業医、大学病院と、同じ病気でもこじらすと、行くことになりますが、似たようなところがあります
ほとんどの場合、自宅療養で間に合います
ですが、開業医へ行けば安心です
かなりややこしい場合は、大学病院へ入院てなことになるのですが、これは、滅多にありません
開業医が自分の家のお寺で
大学病院は、霊場巡礼とか、本山参拝とかですかね
日本で年間100万人近くお亡くなりになってます、だから、世界中で、ざっと4000万人になりますかね、一年間にお亡くなりになります
だから、はっきり言って、こじれにこじれた場合もあります
何百年間も、どう供養しても成仏してくれない霊もあります
幽霊を見るって言いますが、年間、これだけ人が死んでますから、まあ、ほとんどの方は、行くべき所に行ってらっしゃって、どうしても、勘違いから解放されない、執着から離れられない方の霊が止まっていて、まあまあ、それでも少ないのだと思いますね
よく、あやしい人が、あなたのご先祖さんは成仏してない、だからこんな不幸があるんだ、とか言いますが、気にしないように
生きている人と仲良くするような気持ちで、亡くなったご先祖様のことを考えていれば、問題ありません
生きている人は肉体のある霊で、ご先祖様は肉体のない霊です
ですから、生きている人に対するようなやさしい気持ちは、そのまま同じようにご先祖様に通じます
これは、ですから、いくら立派な法要をしても、心の中で、恨んでる、非難してる、無関心、など、ご先祖様と気持ちの上で「仲が悪い」とよくありません
いろんなことがあった方も、亡くなった方のことは赦してあげてくださいね
どうしても気になる方は、霊場巡礼などなさるといいと思います
自分でいろいろ調べたり、お金を用意したり、時間を作ったり、疲れていてもがんばったり、他のことを考えずにお参りに集中したり、そんなことが、通じていきます
つまらぬ拝み屋などにひっかからないように
♪きちんと暮らす事が、親にも心配かけないし、ご先祖さんも喜ぶ、一番の方法でしょうね♪
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