2006-01-25

増神世界

先日バチカンで、新法王のもとで初めて、宗教対話の会議が開かれたらしい
バチカンには諸宗教対話評議会というのがあるのです
イスラムからは誰も招かれなかったが、仏教からということで山折哲夫さんが招かれたらしい

昨日の読売新聞に山折哲夫さんがいろいろ書いていたが、「事実上、世界は多神世界になっている」と指摘していた

こんなことは、わかりきったことだと思うけど
バチカンはなかなか、この事実を認めようとしないのですね

新法王がイスラムを呼ばなかったのは、なぜなのか聞きたいところだが、前向きな印象は持てないね

僕は単純だから、どうやって一神教が今の世界を説明するのか、さっぱりわからないですね



それで、仏教は、基本的に、アニミズム肯定で、なんにでも神が宿る世界を想定しています

まあ、それを最後には、自我という幻想にしがみついているだけだと、棄てさってしまうのですけど

それでも、自我にしがみついている間は、霊魂もあれば、神もいれば、菩薩もいるし、我々普通の人間もいて、なかなか多彩です
自我から完全に解放されたら如来になることになってます、仏ですね

神をどう定義するかは、諸説ありますが、仏教的には、偉い霊魂は皆、神です
菩薩は、すでに学ぶことはないが、この世に止まっている存在ってことになってますから、神様と菩薩は、どうも同じようなもんだと思います

まあ、言葉の問題ですので、深入りしても、ほんとの所には行きません
似たようなもんだということにしておきます


それで、自我から解放されれば神仏ですから、仏教的には、神仏は増えつづけます

多神世界どころか、増神世界です

そこらへんの所から、世界平和を考えないと、とんでもない勘違いをすると思います


そう言えば、世界宗教サミットというのの第1回をバチカンでやって、2回目は比叡山でやりました

ご存じないかもしれませんが、比叡山の仏教は、バチカンから熱い視線を注がれています
前のヨハネパウロ法王はスピーチの中で「忘己利他」の精神が共通の価値だと説きました

それで、比叡山のサミットの最後に、世界の宗教にとって最高の価値はなにか、ということで議論になりました

「幸福」なのか「平和」なのか、どっちだ、ということになりました

あなたも、考えてみてください


結局「平和」ということになりました
隣人と仲良くすることを、自分の喜びの追求より優先させました

まあ、自分勝手な奴が世界にはたくさんいて、好き放題されても困る
仲良くするのが、最低限のマナーだ、ということでしょう

そこまでは、丸く収まりました

それから、じゃあ、世界平和のため、皆で祈ろうってことになりました

そしたら、イスラムの代表が、他宗教の人と一緒に祈ることはできない、って言いだしました

唖然です

で、各宗教、それぞれのやり方で別々に祈ることになりました

その時点で、多神世界を認めたことになるような気がしますけどね
違うのかな

脳内にイメージされる前の世界が、ほんとうの世界

脳内イメージにしがみつくのをやめれば、ほんとうの世界が見える


死んでも「心」は無くならない

「心」は広がり続ける

そして「心」は、ほんとうの世界そのものになる


ブッダガヤ 金剛宝座 降魔印の釈尊


あなたが一番信頼する光に意識を集中します

目をつぶり

かすかに微笑んで

やさしく強い光が降り注ぎます

息を吸うと、全身から体に染みわたります

光が心を洗い清めます
心に浮かぶ、すべての思いを捨て去りながら

息を静かに吐きます

それを続けます

疲れてきたらやめて

光に感謝を伝えます

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