工夫発展
密教成立の歴史については、最近特に解明が進み、各地の仏教遺跡の調査などもあって、新しい発見もあったりします
でも、まあ、そこは学問ですので、簡単に結論はでません
ああじゃなかろか、こうかもしれぬ、でもこれがよくわからない、といつも、ぼんやりしたイメージしかありません
右にブックガイドを掲げておきましたが、当面、学問的には文献学が主流でしょう
それで、おぼろげにわかってきたのは、仏教にもともとあった説話や教理がイメージとして視覚化していき、素朴なものから徐々に洗練され、0(ゼロ)を発見したインド人の論理的几帳面さによって整備されていったことです
しかし、たとえば、左が見つかれば、当然、右もあるんじゃないか、とか、9じゃ語呂が悪いのでよくある8にしとけとか、作為をもった神話の生成とでもいえることが多分にあって、細かく見ればみるほど、わけがわからなくなってきます
それで、もっともインドで仏教が発達した時代の僧院がナーランダーです
5世紀から12世紀にわたり仏教教学の最高学府として栄え、玄奘三蔵もここに留学し、中国に仏教を持ち帰りました
霊鷲山の近くにあり、釈尊の弟子のうち智慧第一の舎利弗と神通第一の目蓮の故郷でもあります
最盛期には、教授学生あわせて12000人におよび、毎日数百カ所で講座がもたれました
あまりに広大で、現在もまだ発掘調査が継続しています
おそらくは、仏教の思弁的展開や、インド土着文化との融合などは、ここが中心となって進んでいったことと思われます
大乗仏教を中心として、ヴェーダ、ウパニシャッド、論理学、音楽、医学、工学、数学、呪術など、幅広い分野の研鑽がおこなわれていました
それで、密教の継承者とされる人物のうち何人かは、このナーランダー出身です
金剛智 ヴァジラボーディ
671?741。10才でナーランダ寺院で出家。開元8年(720)入唐。主に金剛頂経系の経典・儀軌を翻訳した。
唯識系の金剛頂経を伝えました。サンスクリットから中国語に翻訳しましたが、全部ではなく、四分の一位ではなかったかということで、残りの部分は失われてしまいました
金剛頂経はナーガルジュナが南インドの鉄塔のなかで感得したという伝説があり、これがそうだという、なんといいますか、太い鉄棒の搭もありますが、今でもその鉄塔は当時の技術でどのように作ったのかわからないそうですけど、くつがえすような話もないので、そのまま、今も定説ということになっています
善無畏 シュバカラシンハ
637?735。マガダ国王子。生来神の姿で、13才で王位を次ぐ。後、国を諸兄に分け、出家。ナーランダ寺で達磨掬多に灌頂を受け、人天の師と仰がれる。師命により長安に向い、玄宗皇帝より国師として迎えられた。大日経を訳出
この人は、だれに教えられもしないのに一人で禅定をして、悟りをひらいたそうです
王位を継ぎましたが、釈尊のようにそれを兄弟に与え、出家しました
つまり、金剛頂経と大日経はともに、ナーランダーに伝承されていました
そのナーランダーには、ヴェーダやウパニシャッドなども伝承されていて、混合して当然なのです
釈尊の言葉に忠実に、などという意図はもうありません
釈尊が伝えようとしたことを、イメージを使って表現しようとした、というか、かなり、想像力をふくらませて、脚色して伝えています
もともと、釈尊の言葉から離れ始めたのはB.C.377にバイシャーリーで第二仏典結集が行われた時からです
その時分裂した論点は、食事は午前中にしなければならないというのが当時の戒律だったのですが、午前と午後を分けるのに、日時計を使って、棒の影で見ていました
それを、棒のこちら側で分けるのか、指一本過ぎても許されるのか、といったことで、守旧派と改革派が分かれたそうです
釈尊の言葉をなにがなんでも絶対に守らなければならないとする人達と、考え方だけ採用して状況に応じて臨機応変にすればいいという人達です
これは、しかし、いろいろな文化的伝統による感化や時代的変遷があっても、仏教の根本的ロジックは失われることなく堅持され、今日に至っています
慈悲と智慧、執着を離れること、瞑想によって真実に至ること、唯識観と空観、縁起の法、多神世界、自由と平和、感謝と赦し、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静などです
インドからチベット、中国、韓国、日本、スリランカ、タイ、ミャンマーなど世界各地で、独自の発展を遂げています
ナーランダー寺院が出来るまでが釈尊から1000年位、そこからナーランダーが700年、仏教の歴史全体で2500年、日本の天台宗の歴史だけでも1200年・・・まあ、かーなり高度に発達したことは内容を知らないでも想像がつきます
また、仏教は基本的に、啓示によるトップダウンを信じ込むだけではなくて、瞑想によって神秘体験を得て自分なりの検証もできます
自分なりの感得、神秘体験による、工夫発展もできます
これからも、発展しつづけるとしか考えられませんね
でも、まあ、そこは学問ですので、簡単に結論はでません
ああじゃなかろか、こうかもしれぬ、でもこれがよくわからない、といつも、ぼんやりしたイメージしかありません
右にブックガイドを掲げておきましたが、当面、学問的には文献学が主流でしょう
それで、おぼろげにわかってきたのは、仏教にもともとあった説話や教理がイメージとして視覚化していき、素朴なものから徐々に洗練され、0(ゼロ)を発見したインド人の論理的几帳面さによって整備されていったことです
しかし、たとえば、左が見つかれば、当然、右もあるんじゃないか、とか、9じゃ語呂が悪いのでよくある8にしとけとか、作為をもった神話の生成とでもいえることが多分にあって、細かく見ればみるほど、わけがわからなくなってきます
それで、もっともインドで仏教が発達した時代の僧院がナーランダーです
5世紀から12世紀にわたり仏教教学の最高学府として栄え、玄奘三蔵もここに留学し、中国に仏教を持ち帰りました
霊鷲山の近くにあり、釈尊の弟子のうち智慧第一の舎利弗と神通第一の目蓮の故郷でもあります
最盛期には、教授学生あわせて12000人におよび、毎日数百カ所で講座がもたれました
あまりに広大で、現在もまだ発掘調査が継続しています
おそらくは、仏教の思弁的展開や、インド土着文化との融合などは、ここが中心となって進んでいったことと思われます
大乗仏教を中心として、ヴェーダ、ウパニシャッド、論理学、音楽、医学、工学、数学、呪術など、幅広い分野の研鑽がおこなわれていました
それで、密教の継承者とされる人物のうち何人かは、このナーランダー出身です
金剛智 ヴァジラボーディ
671?741。10才でナーランダ寺院で出家。開元8年(720)入唐。主に金剛頂経系の経典・儀軌を翻訳した。
唯識系の金剛頂経を伝えました。サンスクリットから中国語に翻訳しましたが、全部ではなく、四分の一位ではなかったかということで、残りの部分は失われてしまいました
金剛頂経はナーガルジュナが南インドの鉄塔のなかで感得したという伝説があり、これがそうだという、なんといいますか、太い鉄棒の搭もありますが、今でもその鉄塔は当時の技術でどのように作ったのかわからないそうですけど、くつがえすような話もないので、そのまま、今も定説ということになっています
善無畏 シュバカラシンハ
637?735。マガダ国王子。生来神の姿で、13才で王位を次ぐ。後、国を諸兄に分け、出家。ナーランダ寺で達磨掬多に灌頂を受け、人天の師と仰がれる。師命により長安に向い、玄宗皇帝より国師として迎えられた。大日経を訳出
この人は、だれに教えられもしないのに一人で禅定をして、悟りをひらいたそうです
王位を継ぎましたが、釈尊のようにそれを兄弟に与え、出家しました
つまり、金剛頂経と大日経はともに、ナーランダーに伝承されていました
そのナーランダーには、ヴェーダやウパニシャッドなども伝承されていて、混合して当然なのです
釈尊の言葉に忠実に、などという意図はもうありません
釈尊が伝えようとしたことを、イメージを使って表現しようとした、というか、かなり、想像力をふくらませて、脚色して伝えています
もともと、釈尊の言葉から離れ始めたのはB.C.377にバイシャーリーで第二仏典結集が行われた時からです
その時分裂した論点は、食事は午前中にしなければならないというのが当時の戒律だったのですが、午前と午後を分けるのに、日時計を使って、棒の影で見ていました
それを、棒のこちら側で分けるのか、指一本過ぎても許されるのか、といったことで、守旧派と改革派が分かれたそうです
釈尊の言葉をなにがなんでも絶対に守らなければならないとする人達と、考え方だけ採用して状況に応じて臨機応変にすればいいという人達です
これは、しかし、いろいろな文化的伝統による感化や時代的変遷があっても、仏教の根本的ロジックは失われることなく堅持され、今日に至っています
慈悲と智慧、執着を離れること、瞑想によって真実に至ること、唯識観と空観、縁起の法、多神世界、自由と平和、感謝と赦し、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静などです
インドからチベット、中国、韓国、日本、スリランカ、タイ、ミャンマーなど世界各地で、独自の発展を遂げています
ナーランダー寺院が出来るまでが釈尊から1000年位、そこからナーランダーが700年、仏教の歴史全体で2500年、日本の天台宗の歴史だけでも1200年・・・まあ、かーなり高度に発達したことは内容を知らないでも想像がつきます
また、仏教は基本的に、啓示によるトップダウンを信じ込むだけではなくて、瞑想によって神秘体験を得て自分なりの検証もできます
自分なりの感得、神秘体験による、工夫発展もできます
これからも、発展しつづけるとしか考えられませんね
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