2006-09-01

感触を大事にね^^

霊感があるとか、何かが見える感じる、という場合、実は、その背後に付いている霊的存在が見させている、感じさせている場合が多いのです

ある一つの霊場に行っても、霊感のある人は、常に誰でも同じものを見たり感じたりするのではありません

ある人は恐怖を感じるけれど、ある人は懐かしさを感じたり
神様が見える人もいれば、光を感じたり、声や音を聞いたりする人もいる

神様が見えるといっても、違う形に見えたりする



これは、なにか一つの波動のようなものがあって、感じる人の文化的・教育的背景によって翻訳されて、その人の理解の範囲に収まるように感じる、という考えかたもできます

ですが、その背後にいる霊的存在の力で感じている場合には、その霊的存在のルールにしたがって感じさせられていることになります

どうも多種多様な霊団があるらしく、仏教、神道は当然として、ヒンドゥー、キリスト教、ユダヤ教、イスラム、古代エジプト、マヤ、ブードゥー、など、あるいはそれ以前、ありとあらゆる集団が活発に動いています

僕的には、これらの霊団は、人間の念の集合体であり、特定の教義に執着する心が生み出したイメージにはまりこんで抜け出せないでいる霊魂の集団です

これ、まあ、いろんな宗教教義はそれぞれ立派で、ありがたいものです
ですけど、姿形とか神話や教義は、これ脳のイメージであって、もう、どうしようもなく各人バラバラで別々なんです

そのイメージそのものがありがたいんじゃなくて、そのイメージをどう感じるかが大事なんですよ


たとえば、とある大きな岩の前に、神様が現れた
いつか絵でみたことがある○○の神にそっくりだ
だから、ありがたい、すごい
じゃなくて

その現れた神様の姿が、なんとなく怖い、のか
神々しく威厳に満ちているのか
暖かな親近感があるのか

その感触ですよ、大事なのは




霊感の強い人とつき合っていると、どうも、人を支配しようとする、結論を押しつけようとする、有無を言わさず指図しようとする、人がいるんですけど、だめだねー、これは
この手の人達は、背後の極めて執着心の強い霊団に心を支配されてしまっています
悪意のある霊団になると、恐怖や、恫喝や、巧妙な利益誘導などを駆使します



まともな霊団なら、その人を、導き教えることはしても、支配しようとはしません




追伸

坊主憎くれりゃ袈裟まで憎い、とか、坊主の坊主嫌い、とか、いろいろ言われてはおりますが、感じのいい坊さんならつき合ってみるのもいいんじゃないかとは思いますよ

2 件のコメント:

Anonymous sonae さんは書きました...

何か霊的なものがあっても、見えるものはその人の文化的背景によると言うのは納得できます。

spiritwalkerさんの後ろに見えるものも見る人によって違うって事でしたし。

私の娘はこの先何に興味を示していくのかしら?

9/02/2006 03:01:00 午後  
Blogger Terra さんは書きました...

sonaeさん

さあ、どうなんでしょうねぇ

いずれにしろ、どこかのご縁のある強い神仏に守ってもらうことになって、それがどなたなのか、はっきりと自覚する時がくると思います

生得の能力と、後天的な能力とあって、時期がくれば、生得のものが消えるか、消えないでそのまま後天的な能力が開花するか、するでしょう

僕は、たぶん今の状態は前段階で、もう一段階なにかあるのだろうと思いますよ

いろいろ教わらなくても、「ああ、これはこうだ」って自分でわかりますよ(^^)

9/02/2006 05:52:00 午後  

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