2006-09-08

親王様ご誕生の余波?

実は、きのうロケのあった、NHKの番組が、親王様誕生のニュースの関係で放送日がずれて、20日の予定が13日になりました

いやー、僕の様な者の生活にも影響を与えちゃうんですね




長保時代の皇室は、いまよりもっと複雑でした

定子皇后がお産みになった敦康親王(あつやすしんのう)は天皇にはなりませんでした

定子様は14歳で一条天皇様のもとに入内し、仲むつまじくお暮らしになり、一条天皇の最初のお子様である脩子内親王(しゅうしないしんのう)をご出産されました
長保2年に3番目のお子様[女美]子内親王(びしないしんのう)をご出産の時に24歳でお亡くなりになりました
その長保2年に長保寺は創建されました




定子様は3回目のご出産の時に、死をお覚悟されました


藤原定子ー悲恋中宮ー より抜粋

定子の亡くなった後、帳 の紐に結びつけられてる文を見つけたら、、定子筆で三首の歌が書かれていました。

夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙のいろぞゆかしき
(訳)私が死んだ後、恋しがって流す貴方の涙の色が知りたい

知る人もなきわかれ路に今はとて心ぼそくもいそぎ立つかな

烟とも雲ともならぬ身なりとも草葉の露をそれとながめよ

定子が鳥辺野に土葬される際、一条天皇は


野辺までに心ばかりは通へども我がみゆきとは知らずやあるらん
(訳)貴方が行く鳥辺野には身体は行けないが、心だけは貴方を追って行っている事を、貴方は知らないのだろう。

という歌を残しています。



そう言えば



僕は、平成12年に紀子様から、日赤の金色有功章をいただいているのでした

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