2006-09-20

人生の心がけ(テーマ)



お正月に初詣に行く、お盆やお彼岸にお墓参りに行く、毎日お仏壇に手を合わす、これらのことは伝統文化ということで、是非大事にしていただきたいです

葬式にお坊さんを呼ぶ、というのは、都会では、だんだんしない人も増えてきたらしいですけど、仏教の立場で言うと、お釈迦様のお葬式はお弟子の坊さんではなくて、当時のバラモンのしきたりで行ったそうで、それほどこだわらなくてもいいのかもしれません
ただ、お亡くなりになった方に、はっきりと死んだことを誰かが告げなければなりませんから、葬式を単なるお別れの会と考えない方がいいかもしれません
丹波哲朗さんによると、100人のうち95人位は自分の死んだことを自覚できないそうです。萩原玄明さんは「あなたは死を自覚できない」という本を書いてますけど、ご自分でも、自分が死んだとき、それを自覚できるか自信がないと言っています


ヒーリングや祈祷で病気が治るということも、運がよければありますが、だからと言って、施術してくれた人の信者になったり、命令を聞いたりなどする必要はないですよ。人を精神的に支配するために不思議なことをする人もいるので注意してください。お医者さんのように技術を施してくれたと考えればすむことです

まあ、今の日本人は無宗教だとはよく言いますが、現在のような、国際化した時代、価値観の錯綜した時代、民族や宗教や伝統がぶつかり合う時代では、そんなぼんやりした調子ではやっていけません

僕らには生まれながらに「自由」があたえられています
五感から脳に情報を取り込んで、それを自分なりに再構成したイメージで世界を認識しています
自分独自のイメージは、無限の可能性をもっています。宇宙の豊饒の源です。
ただ、それを、なりゆきまかせで無自覚にしていると、結局他人のイメージに支配されることになります。洗脳されるといってもいいです

で、僕がお薦めするのは、あらゆる可能性のなかから
なるべく善いことをしようと心がけて暮らす
というテーマを選ぶということです
これで、あなたは、仏教徒です。このテーマと反対のことをするなら、自分と周囲の人達に大きな苦痛を与えることになるでしょうね

善いこととはなにか?
そんなことは、自分の胸に手をあてて自分で考えることです。人に聞いたり学んだりしても、生きて行くのは自分なんですから、自分でわかっていないと生きていけませんよ
喉が渇いた、腹が減った、便所に行きたい、眠たくなった、だからといって、人に頼んで代わりにしてもらえるわけじゃありません
生きて行くのも自分、死んで行くのも自分なんですから

善とはなにか、悪とはなにかと誰かが定義すれば、人から考えることを奪うことになります

奪うことはできるかもしれませんが、脳は、それでも自動的に自分だけのイメージを作り続けます。おしつけられた世界観とイメージの間で、必ず葛藤が生じます。今風に言えばストレスですけど、万病のもとなんじゃないですか

イメージになる前の世界を感じることができるまで、転生を続けるんでしょうね

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