ハシゴ
ソウルミラーネットワークという概念というかロジックは、僕なりの「宗教クライシス 上田紀行著」への回答でもあります
宗教は、癒し・慈悲・救い、といった人々を解放する一面と、教義・生活規範、などで人々の自由を束縛する側面の両方を持っています
今風のスピリチュアリズムは、宗教の教義・生活規範などの束縛から離れることを「宗教ではない」と表現して、それでも、癒し・慈悲・救い、は得られると考えているのですけれど、実際問題これはなかなか難しいのです
月に向かってハシゴを架けたとして、月までたどり着くには、どれかのハシゴを登り切る必要があります
仏教でも、キリスト教でも、神道でもいいんですけど、どれかを登っていけば月にいけます
で、どれでも目的地は一緒だからといって、二本のハシゴを同時には登れません
また、その必要もありません
どれか選ばなければ、月には行けません
おっと、ハシゴを間違えても月には行けません
既成のハシゴを登らずに、いろんな宗教や霊的教示の、いいとこ取りして、自分の気持ちを満たすというやりかたは、つまり、自分なりのハシゴを作るということになります
これはですね、実際は大変な苦難の道ではないですか
お釈迦様の苦行や、イエス様の苦難に匹敵する修行が必要だと思いますよ
スピリチュアリズムというのは、新鮮で魅力的ではありますが、歴史がまだまだ浅く、風雪に磨かれ鍛えられるところまではいってません
歴史が浅いから、傲慢になって人々を支配するような過ちを犯すことも、いまのところないですけど、こうしなさい、ああしなさい、の連続は権威主義への道ですよ
現世利益というか、様々な欲求を満たしたり、超能力で楽をしようなどというご都合主義の道具としてハシゴを利用することもできるのですけれど、それでは月にはいけないんですよ
あちこち目移りしてたら、登っていけないし、やっぱりハシゴはそれぞれ生活規範を持ってますからね
で、僕は「学びを終えた光」と言ってるんですけど、ご縁のある神様であるとか仏様ですね、導いて頂くという姿勢が必要だと思います
これは、どなたかに決まっていれば間に合うわけで、仏陀とキリストとアッラーを同時に頼る必要はないということです
人類史の中で、伝統宗教の神仏は「光」の側にいるということが広く認められているのですから、是非、導いてもらってください
そのことで、あなた自身が賢くなるということがですね、魂の永遠という時間がいくらかかっても平気な世界で考えれば、賢さが行き着くところは、あなたも「学びを終えた光」になる、ということです
それで「光」にはそれぞれ歴史があってそれが個性なのですから、多神世界が基本だろうなー、と僕は考えてますけどね
ぜーんぶ繋がっているから、一つの心しかないんだと言えば、そうなります
ということは、自分は、唯一の神の一部です
多くの鏡が繋がって唯一つのネットワークになって、自分はそのたった一つのネットワークのかけらです
光のかけら、なんですね
だから、僕も、あなたも神の一部です
別々のハシゴを登っていても、仲良くしなきゃいけませんね
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