フラクタル
ソウルミラーネットワークと言うとなんか目新しくなりますが、仏教ではとっくにこんなことは言ってるんです
蓮華蔵世界と言うんですけど、華厳経や梵網経で説かれている極楽世界の様子が、つまり、ソウルミラーネットワークなんです
お釈迦様が悟りを開いて、いちばん最初に、悟りの内容をそのまま説法しましたが、それが華厳経です
それで、仏教の内部では、伝統的に華厳経を最高の経典と考える傾向があります
天台大師が法華経が一番だと言ってから、華厳より法華が優勢になってきました
ちなみに、弘法大師は華厳が法華より上と考えてます
ソウルミラーネットワークでも蓮華蔵世界でもいいんですけど、じゃあ、どんな生活態度がいいの?それでどうしろというの?ってことになると、これが、よくわかりません(汗)
華厳だけではなかなかよくわからないので法華があるんじゃないかと思ってるんですけどね
それで、僕は
イメージと鏡を調和させることを学んで、世界を豊饒にしている
と、言ってるんですけど、これ、感性と理性の統合、慈悲(感性)と智慧(理性)の統合、「見る者・理」と「見られる物・智」の統合、執着を棄て思考停止し感覚遮断した状態、とか、このブログでいままで言ってきたことと同じことです
仏教では、この統合された心境を「空」と言ってきました
法華経で文学的に表現されている世界観ですね
シルバーバーチとかエドガーケーシーなんかも因果応報を強調するんですけど、これ、仏教の土台になっているロジックの、転生と因果応報と同じなんですよね
わざわざ、彼らに説明してもらわなくてもよさそうなもんなんですけど、一神教世界では、基本は、全ての運命は神様から与えられ計画されていて、因果応報は認めてないんです。スピリチュアリズムはですから、一神教の改良主義としての存在価値があるのです
ですので、日本ではスピリチュアリズムが遅れているという捉え方もあるけど、実際は、価値が埋没してしてしまうんじゃないですか。特に目新しいところがありませんから。特定の教義に束縛されないってことらしいですけど、それこそ、日本の宗教事情である多神教を土台にした仏教の特性ですよ
僕は仏教の歴史を、
東大寺や国分寺などの大伽藍⇒貴族の祈願所としての密教寺院⇒地方に分散した中規模寺院⇒檀家寺⇒仏壇
つまり、国家中枢⇒上流階級⇒地方豪族⇒地域社会⇒家庭になって、次ぎにくるのは個人
たとえて言えば、大規模通信設備⇒公衆電話⇒固定電話⇒携帯電話
で、これからは携帯電話のような仏教になると言ってるんです
仏教の昔ながらの概念もですね、ソウルミラーネットワークと言い換えてみれば、現今のスピリチュアリズムの成果である、「人間は肉体という着物を着た霊なんだ」という考え方を取り込んで、携帯電話の基本構造になるような気にはなりますね
みなさんの心の中に、フラクタルな神の秩序があるんですね
0 件のコメント:
コメントを投稿
この投稿へのリンク:
リンクを作成
<< ホーム