2006-10-09


ところで、物質は粒子であり波動でもあります
そして、Superpositionであり、あいまいな存在です

霊界と生死ある世界を分けているのは「観察」じゃないかと考えたりしてます
観察によって、Superpositionが実体化されます
ゆらぎがあるから、生死のある「見る者」が生まれるんでしょうね
そして、苦痛が生まれ、救いも生まれる

Superpositionが霊界で、観察する、見る者と見られる物のある世界が生死のある世界です

観察結果は確立論的に偶然に支配されますから、常に不確定な未来が描かれます
「自由」がある、と言うこともできます

ということは、Superpositionである霊界では、ソウルミラーの変化は顕在化することはできなくて、観察がある生死の世界にソウルミラーが変化する可能性があるということになります


わかりやすく言えば
霊界では魂の進歩が出来なくて、人間界に転生してきて初めて、修行することができます
進歩するか、落っこちるか、人間界での修行次第です
ですから、人間としてどのように生きるのかは極めて重要だということになってきます


それで、弘法大師の「声字実相義」になるんですけど
量子論的には物質は粒子であり波動です。声(波動)であり字(粒子)です
それが、言語になっています

五大にみな響あり
十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり
法身はこれ実相なり

五大 地水火風空
十界 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏
六塵 色・声・香・味・触・法

マトリックスも(-∞=0=+∞)も粒子であり波動であり言語です

「もあもあ」も「ソウルミラーネットワーク」も「次元の違う感触」も、シームレスに繋がっています
波動が違うだけなんです

Superpositionから粒子になると、生死のある世界になります
Superpositionでは全てがあいまいですから、生死のある粒子の世界に変化の可能性があります

それは、波動の変化でもあります

波動が、ある臨界点を越えると、「次元の違う感触」となって、ソウルミラーネットワークから切り離されるんじゃないでしょうか

密教的に言うと、生死ある者達は、ソウルミラーネットワークの中の善悪正邪損得よりも、「次元の違う感触」に近づくほうが意義深いことです
「次元の違う感触」の波動に近づくことが、つまり、霊格の向上です
霊格が向上して波動が臨界点を越えると、ソウルミラーネットワークの輪廻から抜け出して「次元の違う感触」の仲間入りをします
輪廻から抜けでないで、苦しむ「もあもあ」を助ける存在を、仏教では菩薩といいます

と、ここまで理解すれば、あとは
なるべく善いことをしようと心がけて暮らすだけです

ああ、それと、右上にある「光の瞑想」をお薦めしますよ
「次元の違う感触」に出会ってくださいね

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