2006-10-27

ムササビのテレパシー?



境内の歴史民俗資料館にムササビが入り込んできて、4,5日中で暴れていたが捕まえられませんでした
展示物を落とすなどかなり中を飛び回ったようです

昨日ようやく捕まえました

小さめなので、まだ子供だと思います
子供のうちは好奇心が強いので、扉が開いていたので中に入り込んだのでしょう


悪い奴だから、水につけて殺せとか言う奴もいたけど、子供だから元の群に帰してやろうと思い木箱の中に入れておいたら、夕方になって山のムササビが激しく鳴きだしました
ギィーというかジィーというか絞るような声です

結局元の山に帰しました

以前、赤ん坊のムササビを保護した時は、窓の外まで親と思われるムササビが来たこともあります

なんと言うか、おそらくテレパシーのような物があるんだと思いますね

2006-10-26

分子栄養学

食事に気をつけるってことなんですけど
僕は高野山時代にだいぶ無茶な精進食をしていたんです
三日に一日は断食するとか、玄米と小豆を焚いたものだけ食べるとか
当然肉は食べませんでした

それで、歯がボロボロになりました

でも、感覚は鋭くなりました
目をつぶって寝るんですけど、天井が見えるとか・・etc
今は、俗物にもどりました ハハハ



精進料理ってのは、殺生しないのが目的で、健康管理には気を遣いませんからね
永平寺で玄米食べるようになったのは最近ですよ
脚気が多くなるのと、手がむくんでくるんですよ
あと、すごく甘い物食べたくなったりするんだけど、精進を徹底してやった人はわかると思うけど


今までいろいろ研究しましたが、分子栄養学かなと

分子栄養学


メガビタミン、高蛋白、活性酸素の除去、が基本です

いまでもいろいろな健康食品や器具を試してみてますが、僕の理論はこれが基本です
マクロビオティックは、陰陽というあたりが曖昧で、中庸という考えかたなどには賛成ですけど、かなり主観的なので、どうも普遍性はないように思いますね
好き勝手なバリエーションがどんどこ出てくるでしょうね

バレちゃうよん

Quantum Life 手のひら療法

伝授など受けなくてもヒーリングが出来るってことがバレてしまう本です
アフリエイトのほうでご紹介しときました

パームヒーリングは、ずば抜けた霊能者でないかぎり、対象は身内に限るのがいいと思いますよ

「身代わりになってもいい」位のやさしい思いがないと、なかなかうまくいかないですからね

病気ってのは複合的な要因がありますから、簡単にいかないですよ
まあ、でも、手のひら療法には効き目はあります
否定できません

勝手に楽観的に考えないで、慎重にやってくださいね

2006-10-23

アフィリエイト

アフィリエイト始めました

Quantum Life

僕が興味を持った商品が紹介してあります

右上にもリンクがあります

どうぞご贔屓に(^^)

2006-10-13

祈り






ParaFla!にて作成
あんまり大きなファイルにならないよう、これでも小さくしたつもりです(汗)



どこと繋がるかが大事だよー
ちゃんと繋がると、世界のすべてが繋がった感じになるよー

というメッセージのつもり・・・

一番やさしい光と繋がってくださいね
みんなの幸せをイメージするのがコツかな

難しく言うと
今自分の心の中に、光が来てくれているって信じてくださいね
あれこれ、おねだりするのと違いますよ

ラベル:

2006-10-12

Life of quantum sense







Life of quantum sense

僕らの心は
感じあい、影響しあい
時空の無い世界の中で繋がっている

鏡のように照らしあい
他の心を傷つけると、それを写し取り、自分の心が傷つく
他の心を喜ばせると、それを写し取り、自分もうれしい

自由な心は、妄想と執着をつくり
救いの可能性もつくりだす

延々と終わりのない応酬が続く

かすかな「慈愛の感触」に導かれながら、長い長い旅を続け
喜びや多くの困難を通じて「慈愛の心」を学ぶ

そして、「次元の違う感触」に出会ったとき
全てを理解し、全てが赦される

いつの日か、学びを終えた光になって、光の中で生きる


 

ラベル:

2006-10-11

E=hυ


なんのこっちゃ、ですけど

光子のエネルギーの式なんですけど
Eは光子のエネルギー、υは光の振動数、hはプランク定数です
光の振動数が大きくなると、光のエネルギーも比例して大きくなります

E=hυ

なんか、赤より紫のほうがエネルギーが高いってことなのかな、不思議ですね
υ=∞となるとE=∞ですねー

このへんが、「次元の違う感触」の秘密かもですね



ヒプノセラピーとか誘導瞑想って、意図的に夢を外部からコントロールする技術ですね
つまり、クォンタムセンスな技術ですよ
でも、盲腸の手術で、お腹の中にハサミやガーゼを忘れてきちゃうような医療ミスがあるのですから、これも、まあ、気をつけてする必要はあるでしょうね

祈り、とかアファメーションって、マトリックスとのコンタクトですね
これもクォンタムセンスな技術といえばいえますね
密教の三密加持なんか、まさに、マトリックスと繋がる技術です
聖典の読誦なんてもの、マトリックスと繋がる方法ですね

なんか、こうやって図示すると、すっごく簡単に見えるんだけどなー

υ=∞の部分さえわかれば、単純なことなんじゃないですか

ラベル:

2006-10-10

Quantum Sense

唯識論において、量子論における二重スリット実験のような、解釈の出発点になるような紛れもない事実が観察されるようなことがあるだろうか、と考えてみたら、日頃寝てるときに見る、夢がそうかもしれないと思えてきました
五感を消去した状態になれば、「もあもあ」だけになるわけですからね。

五感が消去された状態、つまり寝ている時の夢は、死後の世界の疑似体験でしょうね
ただ、脳は機能してるわけで、「もあもあ」を作ることはやめてないので、疑似体験ではあっても、死後の世界と同じにはなりませんけどね

まあ、臨死体験なんかもいい例にはなりますね
でも、夢の方が身近で一般的ですね

なぜ夢を見るのか?
今でも、よくわかっていないらしいですね
やはり、夢はSuperpositionの入り口でしょうね


夢の中では、ああしたいこうしたいといった意志による行為はほとんどありません
どこか、同じことを延々と繰り返す霊の行動にも似てます
霊になってさまようのは、終わりのないエンドレスの夢を繰り返し見るようなものなのかもしれませんね
夢をほとんど覚えていないのも、前世の記憶がないのと似てるかなー

不思議な夢ってけっこうあるしね

むしろ、明晰夢など、夢の中の行動を自由にコントロールできる人は、かなり霊能力があると考えていいと思います
ひょっとして、死んだら霊界で神様みたいに振る舞えるかもですね

そう言えば、「夢記」を書き続けた明恵は華厳宗の僧です



感覚器官の感受性が広がった状態が霊能力ですね
仏教には五神通があります
人間って不思議ですから、想像もできないような感覚もあるかもですね

感覚器官の感度があがっても「もあもあ」は作り続けられますから、霊感のあるなしと、人格は別のことです
霊感がなくても「次元の違う感触」は感じられます。そうでなければ、人間の尊厳は支えられませんよ


さてと

今までこうした話題を
トランスパーソナル スピリチュアル ソウルミラーネットワークと命名してたわけですけど、改めます

Quantum Sense Mechanics 量子感覚論

といたします

「クォンタムセンス」、どお、「霊感」とか「神通」よりいい感じじゃないですか?
スピリチュアルって言いにくいんで嫌いなんです
単なる気のせいとか思いこみとは違うからね、物理学との接点はありますよ

量子論と相対性理論の融合から、宇宙の森羅万象を説明する大統一理論が導きだされるようなことを言いますが、クォンタムセンスのほうが重要だよ
だって、人間の生死が直接かかわる理論ですからね

ラベル:

2006-10-09


ところで、物質は粒子であり波動でもあります
そして、Superpositionであり、あいまいな存在です

霊界と生死ある世界を分けているのは「観察」じゃないかと考えたりしてます
観察によって、Superpositionが実体化されます
ゆらぎがあるから、生死のある「見る者」が生まれるんでしょうね
そして、苦痛が生まれ、救いも生まれる

Superpositionが霊界で、観察する、見る者と見られる物のある世界が生死のある世界です

観察結果は確立論的に偶然に支配されますから、常に不確定な未来が描かれます
「自由」がある、と言うこともできます

ということは、Superpositionである霊界では、ソウルミラーの変化は顕在化することはできなくて、観察がある生死の世界にソウルミラーが変化する可能性があるということになります


わかりやすく言えば
霊界では魂の進歩が出来なくて、人間界に転生してきて初めて、修行することができます
進歩するか、落っこちるか、人間界での修行次第です
ですから、人間としてどのように生きるのかは極めて重要だということになってきます


それで、弘法大師の「声字実相義」になるんですけど
量子論的には物質は粒子であり波動です。声(波動)であり字(粒子)です
それが、言語になっています

五大にみな響あり
十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり
法身はこれ実相なり

五大 地水火風空
十界 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏
六塵 色・声・香・味・触・法

マトリックスも(-∞=0=+∞)も粒子であり波動であり言語です

「もあもあ」も「ソウルミラーネットワーク」も「次元の違う感触」も、シームレスに繋がっています
波動が違うだけなんです

Superpositionから粒子になると、生死のある世界になります
Superpositionでは全てがあいまいですから、生死のある粒子の世界に変化の可能性があります

それは、波動の変化でもあります

波動が、ある臨界点を越えると、「次元の違う感触」となって、ソウルミラーネットワークから切り離されるんじゃないでしょうか

密教的に言うと、生死ある者達は、ソウルミラーネットワークの中の善悪正邪損得よりも、「次元の違う感触」に近づくほうが意義深いことです
「次元の違う感触」の波動に近づくことが、つまり、霊格の向上です
霊格が向上して波動が臨界点を越えると、ソウルミラーネットワークの輪廻から抜け出して「次元の違う感触」の仲間入りをします
輪廻から抜けでないで、苦しむ「もあもあ」を助ける存在を、仏教では菩薩といいます

と、ここまで理解すれば、あとは
なるべく善いことをしようと心がけて暮らすだけです

ああ、それと、右上にある「光の瞑想」をお薦めしますよ
「次元の違う感触」に出会ってくださいね

ラベル:

涅槃の感触



これつまり
-∞=0=+∞ ですから

一神教とか言いますけど、1でも2でも3でも、なんとでも言えばいいんです。数がないんですから
指さす指の数だけ、神話や教義がある、と

神と呼んでも、大日如来と呼んでも、なんと呼んでも、どれも正しく、呼ばれた数だけの表情を見せる、と
そして、名前を付けてしまうと、本物ではなく、名前によって限定されたイメージになってしまいます
これ、仏教では果分不可説って言うんですけど、密教では大日如来って言ってしまうんですね。ま、いいような、悪いような。分かりやすいけど、誤解も招きますね

仏教的には、学びを終えると、この(-∞=0=+∞)になります
涅槃って、そういう意味です
それで、同化して一つになるかと言うと、とにかく数がありませんから、個性を保ったまま、同化します。一即多、多即一です
-∞=1=2=3=0=+∞ です
釈迦如来とか阿弥陀如来、薬師如来いろいろあります
三千仏名経とかありますから、ほとんど、なんぼでもいます



でもって、これが難しいのは、指ささないことには説明できないわけです
困ったもんです

それで、しょうがないんで、僕は、感触っていつも言ってるわけです
これは、ですから、菩薩とか巷の神々の感触とは次元が違う感触です

それで、この感触を感じるには、なんの条件もありません
時間と空間のない世界から、常に(と言うと時間的表現になってしまいますが)照らしてるんですから

海辺で日光浴をするのに、犬でも猫でも人間でも、いい奴でも、いやな奴でも、関係なく、お日様が照らすのといっしょです



善悪正邪損得はネットワークの中のことで、延々と突いたり引いたりしなければなりません
で、本当の救いは、ネットワークの外から来るんです

それで、仏教では如来、来るが如きもの(如きとでも言わないと、意味が限定されてしまいますから)、と言い習わしてるわけです
キリスト教的には啓示です

第九住心と第十住心を、画然と隔てているのは、啓示があるかないか、です
努力の積み重ねではありません
来るんです


これが、妄想と執着とカルマにがんじがらめになったソウルミラーが救われる仕掛けです
ごちゃごちゃと手術みたいなことをする必要はありません

スッキリ、照らされて、救われます

簡単でしょ


続くかなー・・・

ラベル:

意識の根源

感じられる前の世界には「もあもあ」が沢山浮遊していて、それが、照らし合い感応しあっている、と
で、時間も空間もゆらいでいて、生と死が重なり合い共存している。情報は光速を越えた早さで伝達される

とてつもなく親切で賢い「もあもあ」さんもいるし、修行中の「もあもあ」さんも沢山いる
脱線したのに気がつかない、いやな奴もいる、と
菩薩とか、神話に登場する神様とか、悪魔とかですね

とまあ、そんなところなんですけれど、それだけじゃないんです


天台大師は華厳を究極のものとは考えてませんでした

また、弘法大師の十住心論では、十番目が秘密荘厳心で密教なんですけれど、華厳は九番目なんです。やはり究極のものではないんです

ソウルミラーネットワークのまだ、その先があるんです

ムフフ



実は、僕の大学の卒業論文は、弘法大師の第九住心と第十住心の境目がどうなっているのかというのが研究対象なんです
論文は学部生のレベルですからたいしたもんじゃないけど、昔からものすごく高度な研究がなされてる事だけはわかりました

学会(がくえ)というんですけど、高野山で行われている密教教学の議論ですね
いまも形ばかりは残っていますけど、江戸時代の一時期、論争に負けたら山を降りなければならないほど激烈な議論がおこなわれました。いろいろ調べましたけど、もう、全く凄い量の研究が残されてます
今もチベット仏教では問答議論が重視されていて、いいことだと思いますね。坊さんの質が高くなるね



十住心論では、第九住心を華厳に配当して、極無自性心としているんですが、その根拠となる経典を各種列挙するなかに守護国界主陀羅尼経という経典があって、そのなかで、[口奄]オン字観の実習方法が説かれています
このオンがですね、ヴェーダなどでも説かれる聖音で、ウパニシャッドでは最高の意義を与えられてます。それが、密教経典の中で、国王を守護する陀羅尼として再生してるわけです。ですけれど、それは究極の成就法ではなくて、第九住心に配当してます
一般に金剛頂経系の密教経典では五相成身観によっって悉地を成就する方法が説かれますが、いちばん最初の通達菩提心の直前が第九住心なんですね
五相成身観と、その前の第九住心に画然とした境目があります
弘法大師的にはですね、そういうことです

天台教学では
お釈迦様が、生涯で説法を始めた一番最初に悟りの内容をそのまま説いたのが華厳経とされてます。これは、天台大師が、いろいろ経典の内容を調べて、説かれた場所と順番を決めていく分類作業をしてみてわかったことです。その結果、法華経に、他の経典にない極めて特異な教説があることがわかり、華厳経などを法華経の前段階の経典であると位置づけました




ソウルミラーネットワークを越えた、意識の源があるんです

それが、キリスト、アッラー、大日如来、久遠仏などと呼ばれる存在です

時間と空間がないところにいるんだから、無始無終でいたるところに遍満してます
数もありませんから、ゼロであり∞です
生死がないから、なんなんでしょう、永遠であると言っておきます

ソウルミラーが浮かぶ空間であり、ソウルミラーを照らす光です
ソウルミラーを妄想と執着から解放する力です
そしてソウルミラーの意識の根源です

空間であり、光であり、力であり、意識の根源です


続く

ラベル:

2006-10-07

マトリックス

理論物理学上の、観察される前の量子という考え方が、感覚器官によって認識される前の世界の姿を想像する示唆を与えてくれます

僕は、量子論をそのまま人間の心の働きに応用するのには懐疑的で、たまたま、二重スリット実験の観察結果を辻褄あわせるために導きだされた計算上の概念ですから、どうにも、実際に人が生きたり死んだりにつながるようには思えません

しかしながら、人間の生死は、妄想とか考え方の立場とかではなく、現実ですから、現実世界を説明しようとする物理学とどこかに接点があると考えざるを得ません

Superpositionの概念など、いい例で、仏教が示唆を与えられることもあるでしょうが、また、物理学が仏教から示唆をあたえられることもあるでしょう
理論物理学を追求していくと、感じられる前の世界の姿の片鱗が明らかにされていくかもしれませんね


仏教は、三界唯心と言って、世界のすべては心の中で起こっているという唯心論が考え方の基本になっています。これは主に華厳経に説かれています
仏教では唯識論の研究も盛んにおこなわれました

三界唯一心 心外無別法
心佛及衆生 是三無差別 (正法眼蔵 道元)

唯識論自体が非常に歴史のある考え方で、伝統のなかで色々な決めごとがあって、今に至っては、議論のための議論のような部分が多くなってしまいました
ややこしく考えると、心と識は違うとか

で、まあ、僕なりに要約して言えば


白い矢印が、感じられる前の世界を感覚器官で感じてるところです
で、仏頭が脳で、イメージを作って、「もあもあ」と、自分なりの世界を感じます
イメージを上手に作れなければ、妄想になります
イメージを現実だと思いこむと執着になります
(だから、今、のぞき込んでらっしゃるモニターも、あなたの心の中に作られた「もあもあ」ですよ)

感じられる前の世界はSuperpositionで、過去と未来、右と左、が重ね合わさって共存しています。光速以上の早さで情報が伝達される世界です。
時間と空間は不確定性原理によって、あいまいな状態になっています。この、あいまいさが、実は、「自由」の根源になっているのかもしれません
不確定性原理は、実際に応用もされていて、たとえば走査型トンネル顕微鏡など実用化されてますから、勝手な屁理屈じゃありません

で、「もあもあ」のイメージは、頭の数だけあります
しかし、感じられる前の世界は、「もあもあ」がネットワークになって繋がっている状態ですから、実は一つしかありません
これは、華厳的には無尽重々縁起です
ですから、エヴェレットの多世界解釈は、行き詰まって、ノイマンの「量子力学の数学的基礎」(序文は湯川秀樹が書いてます)あたりからいかないと大統一理論はできないんじゃないかと考えてます


ネットワークは一つですから、イメージが各人別々に作られても、共同体やら、協力やら、仲間やら、お友達やら、普通に暮らしていくことができます
画一的な教義を信じ込ませる必要はなくて、自由にまかせても、仲良くやっていくことが可能です
ただし「もあもあ」がしっかりしていれば、ですけど


ある禅宗の坊さんが、悟りを開いて、あまりの嬉しさに、表に飛び出して叫んだそうです
「雲くーん、君は僕だなー 風くーん、僕は君だなー」


因果応報とか言いますが、つまりは、ネットワークが繋がっていて一つだから、自分のしたことが自分に返ってくるのです
便宜的に、写し取ってと表現しましたが、実は、写し取るもなにも、
あなたは私で、私はあなた、なのです

仏頭がなくなるのが死です
死んでも、執着によってつくられたイメージが「もあもあ」と浮遊し続けます
これが心霊ということになります
仏教的には、霊界を旅する心霊は、いまだ執着を離れないでいる心です
脳がないのですから、心霊は、新たなイメージを作ることができません
それで、同じような繰り言を延々と繰り返すのです
心霊のいろいろな特徴は、これで、おおかた説明がつきます
執着から離れる力を付与するのが供養、ということになってきます
仏教的には「己を忘れて(執着を離れ)他を利する(堂々巡りの苦痛から解放する)」心ですね、つまり慈悲です

で、心霊は感じる前の世界から切り離されていますから、消滅する事がありません
長い旅路のはてに、究極的には、感じられる前の世界とまったくそっくりな存在になります
しかしながら、そこまでに至る歴史は刻まれています

何回も言いますが
感性と理性の統合、慈悲(感性)と智慧(理性)の統合、「見る者・理」と「見られる物・智」の統合、執着を棄て思考停止し感覚遮断した状態が、感じられる前の世界と「もあもあ」が一致した状態です

それで、つまり、神は増え続けます

見る者と見られる物の分離が、「もあもあ」の始まりで、時間と空間の開始点です
不確定性原理で説明されるような、ゆらぎ、あいまいさ、が分離の原因かなー、とか考えてます
分離する必然性があるのですから、いったん分離したら消滅しません


でもって
この矢印が太い人が霊能者なのだと思います。生命進化の必然です。仏教的には五神通です
ただーし
矢印が太くても「もあもあ」は「もあもあ」です。妄想と執着が、自動的に作られます。だから、霊能力がいくらあっても、イメージの正しさとは関係ありません
だから、正しいイメージをもつには努力が必要です
イメージは、教育や訓練で、正しく保つことができます。努力が報われる可能性が開かれています。転生による学習効果もあるでしょうけど、妄想は自動生成しますから、いずれにしても、努力しなければうまくいかないでしょうね


伝統宗教の教義や世界観は、感じられる前の世界をイメージ化した、「もあもあ」です。洗練されてない、宗教や神秘的教義には、妄想がたくさん含まれてます

正しいイメージをもち、「もあもあ」を感じられる前の世界に近づける努力が必要なんですね

ああ、それで、マトリックスですけど、つまり、感じられる前の世界のことになりますね


続く

ラベル:

感じられる前の世界

ペンローズの三角形


僕はなにも、無理矢理に量子論を仏教に結びつけようというのじゃないんですけど、どうも、非常に興味深いのが、Superpositionなんです



二重スリット実験という、量子論だけでなく物理学すべてにとって最も基本的な実験があります。物理学に詳しい人は説明いらないと思いますけど
レーザービームを照射して、二本のスリットを通すと、光の波動としての性質によって干渉作用がおこり、縞模様が観察されます
これを、電子銃で電子を一つずつ発射して二本のスリットを通すと、一つの電子なのに波としての性質により、やはり干渉作用が観察されるのです

英語のサイトですけど面白いので見てください
こちら
画像の緑のボタンをクリックするとレーザーが発射されます
次のページは電子が干渉する様子です

つまり、電子は粒であると同時に、波でもあることが観察によって確認されているのです

この現象をどのように解釈するかが、物理学上の大問題で、いまだに完全な決着はついていません

おおまかに言うと
コペンハーゲン解釈
エヴェレットの多世界解釈
の二つに分かれています

この二つが、量子論の面白さの核心でもあるのです

コペンハーゲン解釈では、電子の位置は、観察されないと決定できません
観察されるまでは、一個の電子は「ある場所にいる状態」と「別の場所にいる状態」が重なりあっていると考えます
重なりあっている、のを英訳するとSuperpositionとなります

エヴェレットの多世界解釈では、観察者の数だけ世界があると考えます。パラレルワールドですね
SF的な感じですが、物理学の世界では、コペンハーゲン解釈が主流として受け入れられています

また、電子は「位置を決めようとすると速度が決まらず、速度を決めようとすると位置を決めることができない」という不確定性原理によって、必ず、あいまいにしか捉えることができないことが知られています

アインシュタインは、EPRパラドックスを主張して、量子論のあいまいさを批判したのですが、ベルの実験によって、光速をこえた情報伝達があることが証明されました

量子論的には
月は見たからそこにあり、見ていない時はそこにいない
ということになります

コペンハーゲン解釈によれば、電子の位置がどこか決まるのは、シュレーディンガー方程式によって、観察した瞬間に確率論的に決定されることになっています
しかしながら、数学的に計算すると、物質の世界では電子の位置が決定できないことが証明されました
それを、証明したのが、今のコンピューターの原理を発明したノイマンです
マッドサイエンティストなどと呼ばれたりしますが、なかなか画期的なのは
「電子の位置が決まるのは、人間の意識の中である」と結論づけたことです
まあ、これは、今のところ物理学の主流ではありませんが、量子論と意識とのつながりが完全に否定されたわけでもなく、様々な研究が今も続いています



と、これは前置きです

言いたいのは、観察される前の状態、「ここである状態と、あそこである状態」が共存して重なりあっている、Superpositionです

光速をこえた情報伝達がSuperpositionでは行われるのです


色即是空のかなた

僕らは感覚器官がとらえた世界の中に閉じこめられて暮らしている

見えた物を信じたり疑ったり、聞こえた物を信じたり疑ったり
暑さ寒さを感じ、美味しいまずいを感じ
感じられる物が世界の全てだと思いこんでいる

目で見る前の光
耳で聞く前の音
舌で感じる前の味
皮膚で感じる前の感触
それが、あなたというフィルターを通さない、ありのままの真実

自己の拡大は進むべき道ではない
感覚器官の中に閉じこめられている現実が変わるわけではない

自己否定も道ではない
めちゃくちゃで、バラバラの自分になるだけ

感覚器官に写し出される前の、ありのままの世界
世界の本当の姿を知っている自分になるのが、道

あなたは、すでにその道を完成した存在を知っていますか
全く完全に我執がなく、それでいて個性があり生命に満ちあふれた存在

五神通と常・楽・我・浄の境地
大慈悲の感触


感覚器官に写し出される前の、ありのままの世界
感じられる前の世界、それこそがSuperpositionなのです

続く

ラベル:

2006-10-05

Superposition


今、このブログを一日600人以上の人が毎日見ているみたいです
なんか、カウンター間違ってるんじゃないかと思うんですけど、どうもいろんな人が来てる・・・・

ありがとうございます

スピリチュアルエンターテイメントというか、どうでもいい、興味本位の人が多いように感じた時期もありますが、どうなんですかね
目の肥えた読者になってくださいね


僕は坊さんなって30年近くになりますけど、考えてみると、毎日不思議の連続で、それも朝から晩まで、仕事ですからね
プロですよ

それで、不思議なことというのは、やはり、感覚の世界のことなんです、経験してる人にとっては、それこそ絶対的な真実ですけど、経験しない人は、全く理解できません
それで、自分の実感だけを根拠に、ああだこうだ言っても、まったくかみ合わないんです



平安時代、ものすごく、加持祈祷やまじないが、まあ、全盛期で、迷信なんて言葉も無かった時代で、科学的なんてことも無い時代ですから、それこそもう無茶苦茶だったわけです

このブログでも書きましたが、そういう時代に、天台宗に良源がでて、元三大師と呼ばれてる人ですけど、これがまた、ずば抜けた霊脳者だったんです。でも、実はこの人はですね比叡山で学問や論議を活発にした人なんです
つまり、ロジックですね、これを非常に重視した
それで、比叡山は開闢以来の全盛期を迎えました。それが、鎌倉仏教の天才達が輩出される基礎になりました。

チベットでも、ヒンドゥーとごちゃごちゃになって、なにがなんだかわからなくなった時に、ツォンカパが出た。これも、どえらい霊能者です。この人も、ロジックをものすごく重視して、チベット仏教の本当の基礎を作りました。

感覚比べは収拾がつかなくなるので、ロジックを徹底してやるんです

ナーガルジュナの中論なんかもそれですね
もう、延々延々延々とやる

空海も、ロジックにはこだわってます。しかし、空海がほんとに何を考えていたか理解できる人は、たぶん、ほとんどいませんね
秘密曼陀羅十住心論とか、まだいいほうで、声字実相義くらいならまだなんとなく雰囲気がわかるけど、吽字義とかなると、おそらく分かってるつもりの方は、はったりで言ってるだけだと思うよ


これに比べれば、神道なんか、全くロジックゼロと言ってもいいですね
根拠を示せない前提を信じなければ、話が始まらない

まあ、信仰はロジックゼロでも成り立ちますから
なんでもかんでも、ありがたがってればいいんですからね
今でも、カルトとか、あれは「理解する必要はない」ってお約束で成り立ってるんで、頭のいい人がやってても不思議はないですよ



と、ここまでは前置きです

で、ちょっとしばらく、このブログでロジックをやるかな、と思ってですね
ソウルミラーネットワークをめぐる話題など、やってみるつもりです

僕はいちおうこれでも住職ですから、けっこう毎日忙しいんです。ですから、ややこしいことは省略します。めんどくさいです
徹底論証するヒマがありません。それで、いくら読んでもわけのわからん話だらけになると思いますので、毎日ごらんになってるたくさんの皆さんに申し訳ないな、と思います
僕はたいした芸はないですから、仏教的になります。それでよかったらどうぞ読んでくださいね


それで、Superpositionから始めようと思ったんですけど、これ量子論のテクニカルタームです

ああ、長くなったんで、以下次回で

ラベル:

2006-10-04

Skype携帯


うっはぁー

ついにアメリカでSkype携帯が発売された
無線LANで日本でも使えるようです

Skype携帯が届いた ドクター苫米地ブログ

日本でも買えます!! こちら
すごい時代です

Skypeについては こちら
インターネットを使って、無料通話できるサービスです
ただし、プロバイダ料金は従来通り必要です


みなさんこうして、特定のサイトの文字や絵をご覧になってますが、それが声になっただけですから、まあ、身近な技術です

いろんな方法がでてくるみたいですよ
携帯通話料で儲けられるのは、もうそろそろ終わりかな




僕は、携帯電話のような仏教って言ってたんだけど、こうなってくると・・・・
ちょいと修正して、

トランスパーソナル スピリチュアル ソウルミラー ネットワーク

トラスピソウルネット

超個人心霊魂鏡網

(汗)(汗)(汗)

ベネディクト16世もぼやぼやしてる場合じゃないだろう

2006-10-01

光ってなに?



問われる日本固有の価値
高橋巖・文責:岡田邦彦/松下政経塾第1期生

これからコンピュータがますます人間関係の大きな道具になってくるでしょう。そうなったとき、インターネットの思想に応えられる世界観とは何か、と考えてみますと、それは何といっても華厳経です。

 華厳経には、印陀羅網と蓮華蔵世界海という考え方がありますが、この考え方はすごいです。世界は網の目のようなネットワークになっていて、その結び目のひとつひとつに水晶玉のような宝珠があって、それが互いに相手を照らし合っている。その玉のひとつひとつが実は人間で、人間ひとりひとりが網の目の結び目に位置していて、互いに照らし合っているという。これを印陀羅網というのだそうです。

 蓮華蔵世界海は、その全体が蓮華の大きな生命の海に包まれていて、その生命の海に映し出される姿がこの世だという考え方です。だから海印三昧というのは、ひとりひとりの心を無にすることで、その心の鏡に映し出される宇宙ということらしいのですけれど、それを印陀羅網として見ていく。

 鈴木大拙さんは、華厳経の基本的な世界観を指して、未来の思想としては華厳経が一番大切だと言われていますが、確かに、これがこれからの世界の重要な鍵になるように思います。


ソウルミラーネットワークって、別段目新しいアイデアではないということ

で、ネットワークを感じるのはいいんだけど・・・
信じられるかですね、問題は

ネットワークだから、善い、ということにはならんでしょうな
つまり、感じられるもの、すなわち、いいんだよ、にはならない



やっぱり、考え込んだら、光ってなんだかわからなくなる
だれからも愛されたことのない人がいるとしたら、その人は光がわからんだろうね

超越体験とか、神秘体験とか、悟りとか、あの世に行ったとか、クンダリーニとか、ごちゃごちゃ言うけど、違うよ
光の感触は、無条件に愛されたことがある人でないと理解できないよ

ま、食べたことの無いものの味などわかるはずがないということ


よけいな話ですけど、なんとかかんとかのパワーって、だから、違うんじゃないの

鬼子母神


鬼子母神は安産・子授けの神様
人の子供を取って食う鬼神であったのを、釈尊が彼女のいちばん可愛がっている末子の赤ん坊を隠し、子を失う母の悲しみを悟らせ改心させました
それから、安産・子授けの神様になりました
右手に持っているのはザクロです

一時期、ザクロに女性ホルモンであるエストロゲンが含まれているというお説で健康食品としてブームになりましたが、検査の結果、エストロゲンは含まれていないことが確認されました



Yahoo!ニュース
ザクロに前立腺がん抑制成分、名古屋市立大が研究発表

 果物のザクロに、前立腺がんの細胞を死滅させる成分が含まれていることが、名古屋市立大の朝元誠人・助教授らの研究で分かった。

 横浜市で開催中の日本癌(がん)学会で28日発表した。

 朝元助教授らは、人間の初期の前立腺がん細胞を培養し、濃度5%のザクロ果汁の溶液に入れて影響を調べた。すると、わずか30分で激しい反応を起こし、がん細胞が死滅した。前立腺がんにこれほど強く作用する天然物質は例がないという。他のがん細胞には効果がなかった。

 また、前立腺がんのラットに、5%濃度のザクロジュースを飲ませたところ、がん縮小効果がみられた。ザクロの何の成分が効いているかは不明。
(読売新聞) - 9月28日22時24分更新


で、こんどは前立腺癌に効くかもということですけど、なにもしないよりはましですから、ザクロを食べるなどするのは、いいかも、ですね

母性とか生殖に関わることに効果が期待されてるみたいですね
ザクロと鬼子母神さんと、なにかご縁があるのではないかと思わせる話ですね

ザクロを魔よけに玄関脇に植える、とか、井戸の横に植えるとか聞きますね
うちは、井戸の横に植えてあります
位の低い鬼神はこの木の下にはこれない、らしいです。で、施餓鬼はザクロと、ほかに、柳と桃なんですけど、下でしてはならないことになってます。魔よけの力があるとされてます。

桃は葉を煎じた汁が汗疹に効くので、うちの子はよく煎じ薬をつくって使いました。そこらへんから、魔よけになったのかも
柳は、だいたい、枝垂れる木は天の力を地上にもたらすと考えられていて、吉祥とされてます


うちの県指定文化財になっている客殿には、桃をかたどった釘隠があります。部屋の周囲を巡って結界するように、鴨居につけられています

なにか、波動をブレンドすると、病気の波動を中和するような作用があるんでしょうかね
このブログを、感覚の鋭い方がたくさん見ていただいているようですけど、お願いいたします

この、気ですかね、ビーンと感じるのは、どうも、心で印象を作ってるんじゃないかと考えてます
心が、対象と繋がって、それを、ビーンという感触にして感じさせる
だから、遠隔もできるんじゃないですか
おでこでも、手のひらでも、胸の奥でも、ごろ寝してても、繋がれば、感じます

ですから、ソウルミラーネットワーク(また、それかい・・汗)で説明つくと言えばつきます