2007-02-16

御利益は、信者さんが持ってくる

僕の亡くなった親父は、商売人だったから、毎年新年に、川崎大師で商売繁盛の祈祷をお願いしてお札をもらっていました
それが、ある年だけ、魔がさしたのか、祈祷をしてもらわなかった年がありました
その年に、大きな不渡りを食らったのです
結果、川崎大師には、なにがなんでもお参りするようになりました



これは、このBlogで書いた話だけど

こちら

高野山の奥之院でもらう紙札を、友達がどのようにお奉りしたらいいか電話で聞いてきたので、適当に(^^;)答えておいたら、言ったとおりにした、次の日の朝一の電話で大きな商談がまとまったなんてこともあります
友達は当然、弘法大師の熱烈な信者になりました




学生の時、生駒の信貴山で新年の祈祷のアルバイトをしたことがあります
知ってる方も多いと思いますが、信貴山では虎の日は特別多い参拝者があって、僕は12年に一度の虎年にお手伝いに行かせてもらいました
信貴山の麓は、知る人ぞ知る、日本一拝み屋の多い土地柄です
3000位あるとも言われてます

で、信貴山でいろいろ教わったのですが
御利益は、信者さんが持ってくる
ということ
坊さんも祈祷しますが、基本は、信者さんの信仰だということです
聖徳太子の頃から祈祷し続けた寺の教えです



長保寺 鎮守堂 (1295) 重要文化財



じゃ、信仰さえあれば、それで間に合うのかと言うと

お札がある、とお札が無いでは
訓練、と実戦
ままごと、と本物
思いこみ、と現実

位の違いはあるんじゃないかと思いますよ

お札があって礼拝すると、神仏の力が、漠然としたイメージでしかないものが、リアルな現実になります

無いと、どうしても、自分勝手な妄想のほうに行ってしまいます

お札には、心がフラフラしないで、神仏にちゃんと繋がるように促す力があるんでしょうね

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