2007-02-17

信仰・反省・努力

仏舎利(お釈迦様の遺骨)を供養する供養塔は
くだけた言い方をすると、お釈迦様のお墓です
それを、木札なりなんなりに神格化したのが、祈祷札の起源です

で、僕らのお墓も、遺骨のうえに石塔を建てています
ですから、お釈迦様のお墓と僕らの先祖のお墓は、原理的に一緒のものです

それでですね、僕ら、先祖のお墓参りに行ったとき、家内安全、身体健全、商売繁盛など、欲張って祈願しますか?
「見守ってください、導いてください、がんばってるよ、心配しないで」と亡くなった方と対話してるんじゃないですか

ですから、お釈迦様のお墓にお参りしたとしても、同じことです
「見守ってください、導いてください」というのがホントでしょ

だから、祈祷札の起源がよくわかっていれば、御祈祷は自分勝手な願望成就を願うようなものじゃない、ということがわかってくるわけですよ



「御利益は、信者さんが持ってくる」って書きましたが、坊さんが祈祷をしても、信者さんの信仰がなければ霊験はありません
霊験があれば信者さんの信仰のおかげ、霊験が無いと言うのは欲張りすぎで反省するべきことがある、というのが仏教の祈祷の考え方じゃないですかね


種子金剛界曼茶羅図

織成 縦71.3 横39.5 江戸中期(18世紀)
やや光沢のない金糸で、豪華な天蓋を戴く種子両界曼茶羅を織り出した双幅である。箱書には、「蓮糸」とあるが、普通の絹糸を用いている。
明治3年(1870)に、徳川家から寄付されたものである



さて
仏教は、月並みな結論ですが

信仰・反省・努力

この積み重ねと繰り返しです


「霊的な力のコントロール」というのは、仏教的な考え方じゃないってことです


亡くなったご先祖様が僕らを心配してくれているように、神仏が無条件に僕らを心配してくれているってことを、是非、信じてくださいね

ラベル:

0 件のコメント:

コメントを投稿

この投稿へのリンク:

リンクを作成

<< ホーム