2006-11-24

猫語

うちに猫が二匹います

白がチーで、黒がクーです
二匹とも、捨て猫だったのを拾って育てています

チーは、目が完全に開かず手のひら位の小ささの時、大門の横に捨てられていたのを次男が拾ってきました
スポイトでお乳をあげたのですが、猫用のミルクじゃなかったので、お腹をこわして、今でも胃腸が弱く、食べたものを吐いたりします
小さいとき捨てられて猫と暮らしたことがなく、子猫の時から人といっしょの生活ですから、たぶん、自分を人間と思っているんじゃないでしょうか
クーが来るまで、ニャーと鳴くことを知りませんでした
生まれてすぐ捨てられたので、猫の仲間の鳴き方を知らなかったんじゃないかと思います

クーは、チーが来てから1年くらいしてから、子猫のとき、中学校にまぎれこんできたのを、長男が拾ってきました
野良猫生活をしていましたから、今でもなんとなく、人間を恐れています


二匹とも、寒くなってくると、寝ている布団の中に潜り込んできたり、足元の布団の上で寝たりします

やってくるのは、夜こちらが寝るときいっしょに寝たり、朝方の寒くなってきた時などです

朝方、寝室に入ってくるときは、(猫が通れるように障子が一升開けてあります)ニャーって、甘えた声で泣きながら入ってきます



さて
少し前、僕は誘導瞑想に凝って、自分でいろんなアファメーションなんかを録音してテープを聴きながら瞑想したり、いろいろなやり方をためしてみた時期があります

瞑想の実験ですかね

アファメーションの文章を三回読んでから目をつぶってリラックスする方法がめんどくさくなくて性に合うような気がしました

たとえば


ワン ツー スリーで 深く息を吐き 肩の力を抜くと すぐに 私は深くリラックスして 深い深い瞑想に入る・・・
深い瞑想に入るのは 簡単だ・・・瞑想するのは とても気持ちがいい・・・

深く 深く 瞑想に入る 心の奥底に どんどん 入っていく・・・・体の感覚が スーっと 気持ちよく 溶けていく・・・長いこと瞑想してもあっという間のことに感じられる・・・集中力がとても強くなって 心に念じたイメージを ハッキリと 感じることができる・・・心の全てが 法界の大慈悲に繋がって 全ての事が順調にうまくいくのが分かる・・・瞑想の神秘的な扉を どんどん開けていくことができる・・・自由に心の中を動き回れるので とても気持ちがいい・・・天眼 天耳 他心 宿命 神足 漏尽の 不思議な六神通の力が どんどん強くなって とても 幸せな気分だ・・・私の中から湧いてくる力で 人助けが出来るので とても嬉しい・・・

私が今語った 全ての言葉と意味が 私の潜在意識に とても良い影響を 及ぼし続ける・・・これらの言葉と意味の全てが 今や 私の人生の 現実に なりつつある・・・

今後 私が「深く」と心に念じ ワン ツー スリーで深く息を吐いたら 私が今語った 暗示の中にある あらゆる言葉と意味が 蘇ってくる・・・瞑想に入っている間ずっと 私が今語った 暗示の中にある あらゆる言葉と意味が 私の 潜在意識を 変え続ける・・・瞑想が終わって ワン ツー スリーで 左の手をちょっと動かすと 私は とても穏やかに スッキリと 気持ちよく 眼を覚ます・・・
眼を覚ましても 潜在意識の変化が 持続し続ける・・・


と、まあ、こんな感じ



そんなことを続けているある日

明け方、クーが寝室に入ってきました

「おかあさーん、おかあさーん」って呼んでるんですよ

はっきりわかりました

見ると、やっぱりクーです

甘えて鳴いているときは、母親を捜しているんですね
捨て猫だったから、飼い主が母親なんでしょう

そのころ、ちょうど勤行で法華経の「法華経を読誦していると修行しなくても神通で動物の声をききわける」という意味のところを読んでいたので、ああ、これか、と思いました

瞑想の実験の成果か、法華経の力かわかりませんけど、あれからもう、そういうことはないですね

つまり、俗物に後戻りしました(^^;)

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2006-11-15

修理中の仏像の眷属

ある仏師さんから、お孫さんのことで相談されたことがあります

仕事場に孫が遊びにくると、最近とても怖がるようになった
いままでこんなことは無かった
修理中の仏像を見ると、とても怖がる

ということでした

どうも、得体の知れない眷属が付いてきたらしいと思いました


仏さんや神様自体は、べつだん怖いってもんじゃありませんが、付き従っている眷属は、千差万別、とんでもないのもいますから

案外、この眷属が働いているのを自分の霊能力と勘違いしてる坊さんも多い

拝み屋さんなど、低級霊の方をありがたがる傾向がありますね
手っ取り早く結果が見えますし、不思議な現象を起こしやすいですから

もう、仏さん拝まないで、眷属さんだけ拝む
キツネに油揚げ、ヘビに卵、などお供えして、欲望丸出しで拝むのなど典型的な例です

で、仏像を据えて拝んでいても、実際は働いてるのは眷属だけ、といったことになる

仏師さんは、あちこちから修理を頼まれますから、わけのわからん拝みかたをしてる仏像もあるんでしょう
そんな仏像を修理してると、仏師さんの仕事場にも眷属がやってきて、感受性の強い子などが怖がるようになったりします
案外、当の本人の仏師さんはなんともなかったりします
これは、仏さんが守っているからだと思います
仕事場までは守ってくれないみたいだけど、だれかに相談しようという気にさせるんでしょうね


仏壇屋さんが修理たのまれて写真とったら白ヘビが写ってた、なんてのもあった
そういう写真は焼き捨てるのがセオリーです



さて
相談してきた仏師さん、なんとかならないかと言う
それで、いろいろ話をしてたら、僕の声が、話をしていて部屋中に響くように聞こえてきた(自分だけ感じます)
なんか、こういう時は加持されている感じになるんで、ああ、これはうまくいくって感じます

それで、仏師さんの仕事場の近くに立派な神社があったので、お参りして助けて貰うように頼むことと、うちのお札を仕事場の一番高いところに奉るようにお願いしました

しばらく、なにも言ってこなかった

久しぶりに会ったら
「霊験あらたかで、孫が怖がらなくなった」
ということでした

こちらが恐縮するくらい、すごく有り難がってくれた

建築屋さんなんかも、解体工事とかするときは、近くの神社にお参りしといたほうがいいね

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2006-11-14

願い事帖

本堂の前に、「願い事帖」として、願い事とお名前を書いていただく帳面をおいてあり、参拝された人は自由に御自分の願い事を書くことができるようにしてあります

それを、勤行の時読み上げて祈願と供養をします

以前は護摩木がおいてあったのですが、護摩を焚かずに貯まってくると、どうしようもなく体がだるくなってきてしょうがないので、これでは身がもたないと思い、やりかたを変えました

いろんな願い事があります


家内安全、身体健全が80%以上でしょうか
以外と交通安全はないですね

お金持ちになれますように、とか、良縁祈願とかいろいろです

いままでで一番微笑ましかったのは「とうちゃんがながいきしますように」


それがですね、ある時、「死ね」「みんな死ね」などと書かれている日が続きました



ある日、誰が書いているのか分かりました

ぶつぶつ独り言をいいながらお参りにくる女の人でした
恐らく統合失調症でしょう

憑依されているのだろうと思いました


僕は伽藍の阿弥陀堂の裏手にある施餓鬼のため建立した石の搭婆のところで、その女の人に憑いている霊のために供養しました
憑依するような霊は、徳がないのでお堂のなかで供養すると入ってこれなくて通じないことがあるからです
念入りにお供えをして、ちょっと長目にお経を読んだだけなんですけど
肩が差し込むように痛くなりました

ふと見ると、その女の人がお参りにきてるじゃありませんか
僕がお経を読んでいるのを、遠くから見ていました
目が合ったような気がしました

「ああ、通じたようだ」と感じました


その女の人は、それから、もうお参りに来ません

「願い事帖」に「みんな死ね」などと書かれる事はなくなりました

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