「人生の意味」は無い
花を見て、「綺麗だ」と思うとするでしょ
その「綺麗」はどこにあるのか、ってことですね
綺麗な花はあっても、花の綺麗さは無いんです
全体として心が受けている印象がですね「綺麗だ」となるのであって、どこがどうだからという説明はできないんです
それで、「慈悲」もですね、どこがどうだと慈悲だとか言えないわけです
貧乏人にお金をたくさん配れば慈悲かというと、そうでもない
泥まみれで、苦しみもがいて死ねば、無慈悲かというと、これもそうでもない
手っ取り早く言えば
人間、とどのつまり死にます
死んでしまうんだから、何をやっても無意味なのか?
死んだ後に残る意味なんてものはどうでもいいのか?
どうせ死んでしまう人間に、どのような生きていく意味があるのか?
死ぬのが怖いから、ヒマつぶしをしてるだけなのか?
これ、つまり、見える聞こえる、あるいは霊感などで感じる、そんなものだけを当てにしてたら、やっぱりわかりません
まあ
意味のある人生はあっても、人生の「意味」はありません
美しい花はあっても、花の「美しさ」が無いのと同じことです
意味のある人生を生きることは出来ても、人生の意味を探しても見つからないんです
この、意味のある人生、てのはね、大切な人を守るために危険を顧みないってことにもなります
つまり、戦って死ぬってこと
だからって、死ぬことに意味がある、にはならないのです
その「綺麗」はどこにあるのか、ってことですね
綺麗な花はあっても、花の綺麗さは無いんです
全体として心が受けている印象がですね「綺麗だ」となるのであって、どこがどうだからという説明はできないんです
それで、「慈悲」もですね、どこがどうだと慈悲だとか言えないわけです
貧乏人にお金をたくさん配れば慈悲かというと、そうでもない
泥まみれで、苦しみもがいて死ねば、無慈悲かというと、これもそうでもない
梅図 一幅 紙本墨画
縦36.7 横54.3 徳川光貞筆 江戸前期
2代藩主徳川光貞自筆の梅の水墨画である。中央上から下に伸びる梅の枝と花を描いたもの。中央部右上に光貞の落款がある。安永2年(1773)に長保寺に奉納されたものである。
縦36.7 横54.3 徳川光貞筆 江戸前期
2代藩主徳川光貞自筆の梅の水墨画である。中央上から下に伸びる梅の枝と花を描いたもの。中央部右上に光貞の落款がある。安永2年(1773)に長保寺に奉納されたものである。
手っ取り早く言えば
人間、とどのつまり死にます
死んでしまうんだから、何をやっても無意味なのか?
死んだ後に残る意味なんてものはどうでもいいのか?
どうせ死んでしまう人間に、どのような生きていく意味があるのか?
死ぬのが怖いから、ヒマつぶしをしてるだけなのか?
これ、つまり、見える聞こえる、あるいは霊感などで感じる、そんなものだけを当てにしてたら、やっぱりわかりません
まあ
意味のある人生はあっても、人生の「意味」はありません
美しい花はあっても、花の「美しさ」が無いのと同じことです
意味のある人生を生きることは出来ても、人生の意味を探しても見つからないんです
この、意味のある人生、てのはね、大切な人を守るために危険を顧みないってことにもなります
つまり、戦って死ぬってこと
だからって、死ぬことに意味がある、にはならないのです
ラベル: 忘己利他