2005-04-29

阿耨院の供養法要


本日午後1時より阿耨院の供養法要があります
上地区の班長さんが集まり、ご詠歌と法要があります

阿耨院(あのくいん)堯謙(ぎょうけん)

堯謙とは長保寺住職第12世大僧都堯謙である。

宝暦3年(1763)播州明石に生まれ、幼少の頃、兵庫港の能福寺に入り出家、得度をした。 その後、比叡山に登り、修学、精励し、同山の遺教院の住職となった。学識深く、徳望高い人として尊敬を集めた。

文政6年(1823)長保寺へ移住し、地域の為に力を注いだ。
とりわけ、天保3年(1832)から8年には毎年のように干ばつ、降雨、暴風雨などによる凶作がうち続き大飢饉となった。農民の生活は悲惨きわまりないものであった。そこで堯謙は干ばつや飢饉にあえぐ農民を救うべく長保寺池の造営工事を起こした。農民を人夫として使役し、賃金を支払って生活を安定させ、また東光寺池も改削して、農民の苦境を救った。天保11年(1840)退隠して阿耨院(あのくいん)と称した。

老年になり、般若心経八万四千巻を書写する願を立て、以来死に至るまで日夜書写に励み、これを広く人々に施したという。ここ近在には堯謙の手になる般若心経がかなり多く残されている。また長保寺池畔には天保13年9月(1842)堯謙が謹書した般若心経の石碑が建てられている。

弘化2年(1845)5月2日、82歳にて没す。毎年、命日の5月2日には、上地区の関係者が長保寺に集まり読経、供養、墓参をして堯謙の偉業を偲び、後世に伝えている。

2005-04-27

「紀伊徳川家系譜」を追加

「吉宗ものしり帖」に「紀伊徳川家系譜」を追加しました

http://www.chohoji.or.jp/promenade/yoshimune.htm#n

2005-04-25

道成寺の常念仏堂の再建落慶入佛供養


4月16日 紀州新聞の記事

道成寺で、常念仏堂の再建落慶入佛供養がありました
開眼は道成寺の小野俊成院代様が勤めました 私は、江戸時代の長保寺の住職が本尊の五劫思惟阿弥陀如来の開眼をしたご縁で、今回、供養法要の導師を勤めさせていただきました 

このお堂は、裏堂が納骨堂になっていて、一般の方の納骨を受け付けています

設計は京都の建築設計研究所で、長保寺の防災工事の設計をしていただいたところです
施工は天王寺の金剛組 屋根の反りなど素晴らしい仕上がりになりました
細部にまで気の配られた、いいお堂になりました

2005-04-23

牡丹の花が満開になっています




境内には約100株の牡丹がありますが、今が見ごろです

2005-04-21

リンク修正

リンクが正常に 表示されなかったのを修正しました

長保寺の仏宝「仏画」
http://www.chohoji.or.jp/dharma/butu2/buppou.htm

サイト内検索に不具合があったのを修正して、きちんと使えるようにしました

2005-04-20

和歌山県忠霊塔追悼法要

5月5日に和歌山県忠霊塔で天台宗が当番で追悼法要があります

私は当日の会行事(進行係のことです)です。普段は天台宗和歌山部連絡事務局を務めていますので、各寺院への連絡事務などけっこう仕事があります。
出仕者は天台宗だけで全部で29名。粉河寺の管長さんが法話をしてくださいます。他宗の方の参加が約20名で、総勢約50名になります。

平成十七年度和歌山県戦没者追悼法要手文 

集合日時 平成十七年五月五日(木)
県仏役員、天台宗県仏役職者 午前七時(上記の者と助法寺院は四日 午後二時より準備)
布教師 午前七時五十分
導師、役僧、式衆 午前八時
行列出発 午前八時四十分
開式 午前九時

集合場所
万性寺 和歌山市堀止西二丁目四番二十一号 電話〇七三(四二二)一八八七

会場
忠霊塔 和歌山市堀止西二丁目 平和会館電話〇七三(四二六)〇四三四


差定
導師 那智山青岸渡寺 高木亮享権大僧正
布教師 粉河寺管長 逸木盛修師
始経師 大同寺 細川慈教権僧正
鐃 天福寺 神木隆好大僧都
鉢、木魚 松見寺 兼平明観僧都
承仕 南光寺 神木延彰小僧都
承仕 南光寺 神木成彰律師
会行事 長保寺 瑞樹正哲僧都

予定

4月26日文成中遠足 27日粉河高校遠足 28日田殿小遠足 

2005-04-19

寺だより開設



このところ一日平均500人位の人がこのページを訪れてくださっている。ありがたいことです。
学校の副教材で徳川家や吉宗のことを調べるページとして紹介されているのが大きな理由だと思う。
いままでは、趣味的に気の向いた時に更新していたけれど、出来るだけ頻繁にいろいろな記事を、このコーナーに載せることにします。