お日待ち
初代藩主 徳川頼宣肖像 1606-1671 長保寺蔵
頼貞隨想 始祖頼宣をしのぶ
翌5日(旧正月9日)宮崎(有田川左岸すなわち箕島町の対岸で約3千米遠く海に突出)の鼻に近い矢櫃(やびつ)という150戸の一漁区に案内された。そこ は祖先頼宣が紀州熊野の古座(今の古座町)の隣、津賀津から茂兵衛、茂太夫という屈強な二夫婦を召し来りここ矢櫃に住まわせ、エビ船、エビ網等の漁具を与 えここを基地として紀州領海での漁獲を許し、かつ免租の恩典を与え、漁業に努めた結果今日105戸の漁区になったのである。この恩義に感じて頼宣の木像を 刻みこれを安置し南龍神社を建て爾来毎年2月10日頼宣の命日にお祭りを施行することになっている。
この朝村の青年達が沍寒を冒し勇躍裸体となり海中に飛び込み身を清め、裸体の儘海岸の戎神社から神酒を奉持して南龍神社に走り詣で、さらに木像を奉持して会場の祭壇に移し村の役員と70歳以上の高齢者を招き仏式にて追悼の後一同昼食をかねて祝宴を挙げた。
午後は各種の催しもので賑わい、夜は浄瑠璃、漫才、浪曲などで歓楽を極めた、私は親しく一漁村の南龍神社の祭礼に詣で村の老若男女に接し心からなる歓迎 を受け、かつまた同夜はからずもその漁村の一民家に一泊しえたことは極めて印象的で、いまさらながら祖先の遺徳がしのばれ感慨無量であった。
お日待ち(和歌山県有田市無形文化財)
現在でも、矢櫃での行事は続けられていますが、徹夜の宴会はもうありません
昨日、矢櫃南竜神社で、法要を勤め、今日は、矢櫃の代表の方たちが小豆を一升もって長保寺の南竜公を参拝にみえました
命日が1月10日ですので、近年は毎年その近くの日曜日に行事が行われています
もう330年以上続いている行事です
南竜公が小豆が好物だったということで、小豆を一升お供えするのが習わしです
南竜公の時代、小豆は重要な戦略物資で、特に羊羹は兵糧として貴重なものでした
羊羹屋の駿河屋さんは練羊羹を発明した老舗で、南竜公につきしたがって紀州にお供してきました
南竜公は徳川家康公の代10子で紀州の初代藩主です
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18才まで家康の手元で養育されました。事実上、晩年の家康が全てを注ぎ込んで養育したお方です
文武に優れた名君で、いろいろな伝説が残されています
八代将軍吉宗は南竜公の孫にあたります
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