Part1
比叡山の仏教
当節、密教といえば真言宗の弘法大師ということになりますが、密教輸入時代には天台宗の方が活躍していたのは経典の数量からして明らかです。
天台宗は真言宗の約3倍の経典を中国から持ち帰っています。
八家秘録(平安時代入唐した八人の僧の請来目録)によると
真言宗関係の請来書
465部 888巻
天台宗関係の請来書
1201部 2326巻
真言宗は弘法大師があまりの大天才であったため、弘法大師以後教学的にはさしたる進歩がなく、宗教史に名を残すような傑出した人物もほとんど輩出しませんでした。天台宗は慈覚大師、智証大師などにより、最新の経典を根拠に広い視野で密教をとらえるようになっていきました。
長保時代(1000)頃には高野山は荒廃しきって住む者もありませんでしたが、比叡山は天皇家を中心にして隆盛を極めたのです。
一口に「比叡山は日本仏教の母山」と言いますが、主な宗派の開祖は皆、一度は比叡山で学んでいます。
法然
(1133-1212)
浄土宗
15才の時、比叡山で得度
親鸞
(1173-1262)
浄土真宗
始め比叡山に学び、後に法然の弟子となる
栄西
(1141-1215)
臨済宗
比叡山に学び、密教の一派、葉上流を興す。
二度入宋し天台山にて禅を学ぶ
道元
(1200-1253)
曹洞宗
始め比叡山に学び、栄西の弟子となる
栄西没後入宋し曹洞禅を学ぶ
日蓮
(1222-1282)
日蓮宗
比叡山にて法華経を学ぶ
日本文化の根元を知ろうとするなら、比叡山の仏教を知る必要がある、ということです。