「愛」について


仏教では「愛」についてどのように考えてきたか、ふれてみたいと思います。

現今の文章表現の中で「愛」は男女間の恋愛感情に止まらず、広範囲の意味で使われています。恋愛も「愛」だし性愛も「愛」、親子の愛も「愛」、人類愛も「愛」ということになります。

ただ、仏教の伝統では「愛」という言葉は、自己愛と妄執が根底にある「個人的感情」の意味で使われてきました。親愛→欲楽→愛欲→渇愛→煩悩と進んでいくと捉えています。
そして、自己満足と我執を離れた「愛」を、「慈悲」として、「愛」と「慈悲」は全く別のものと考えています。

言葉の意味から言うと、「慈」とは最高の友情、つまり、すべての生きとし生けるもの全てへの友情をさします。「悲」とは自ら苦しみ嘆いた経験をもとに、同じく苦しみ嘆くものへ深い共感をもつことをいいます。
ですから、仏教では、この「慈悲の心」から抜苦与楽の活動をすることが理想の生活態度だと考えています。

「愛」に「理解」と「共感」が無ければ、深まれば深まるほど、迷宮にさ迷いこんだ「身勝手な愛」になっていく、ということでしょうか。


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