「觀華亭」由来
この東屋は、もともと御霊屋の前にあった宝蔵の小屋組を利用して建てられています。
江戸時代、徳川家から拝領した多数の宝物を保存するために御廟所内に宝蔵が建てられました。この宝蔵が明治の初め頃、御霊屋の前に移築され、大正時代には大がかりな修理が施されたようです。元々、御霊屋の前は日が当たらず湿気がこもり建物にとっては良い環境ではありませんでした。その為宝蔵は痛みが激しく、解体修理をするか撤去するかの決断を迫られていました。解体修理には大変な費用が必要になります。しかし、元々湿気が多くて文化財の収蔵に適した立地ではありません。撤去してしまうにはあまりに使われている用材が立派です。そこで、第三の選択肢として建材の再利用を思い立ちました。基本的なアイデアは庭園設計家の重森千青さんからいただきました。
梁とか棟の太い木組みが、宝蔵から移築したものです。
江戸時代、尾張徳川家が木曽の日本一の檜の採れる一帯をお留め山にして(現在の赤沢、林野庁が立ち入り禁止地区に指定している。伊勢のご神木はここから切り出している)独占的に管理していました。江戸時代には徳川家しか尾州檜を使うことができませんでした。この小屋組は一部補修した部分を除いてすべてこのお留め山の尾州檜です。木曽川から紀伊半島を回って運ばれた材木です。
看板に掛かっている板は、鎌倉時代の本堂の床板です。風雪や虫害に耐えて残されていました。止めている釘は江戸時代の手打ちの釘です。縁石は宝蔵の土台に使われていた古い石です。
葵の紋の入った棟瓦は元々宝蔵に載っていた物です。
机と椅子に使っているのは煙樹ヶ浜の松です。樹齢一百年はあると思います。丸い柱は紀州産の檜です。床の敷石は中国産です。
江戸時代には長保寺の宝は、徳川家の財宝でした。
創建一千年を迎えた現在の長保寺の宝は、この觀華亭でおくつろぎいただくお客様です。
觀華亭で木の温もりと、歴史の奥深さをご堪能ください。