長保寺多宝塔
国宝 明治37年8月29日指定 昭和28年3月31日
この多宝塔は、三間多宝塔の本瓦葺であって、寺伝では本堂と同時の建立とされているが、構造、手法からみると、やや年代が下るようである。康永3年(1344)の弘法大師御影堂建立の勧進状には塔の名が見えることから考えると、その頃にはすでに建立されていたことが知られる。
本堂が和様、唐様を折衷した様式からなっているのに対し、この多宝塔は純和様を採用している。
この多宝塔は一重と二重の釣合いがよく均整のとれた優美な意匠をみせる。さらに著しく低い亀腹と、勾配のゆるい屋根などがよく調和して安定感を与えている。細部においても力強い組物に美しい蟇股及び折上小組格天井の雄健な手法など、外観、内容ともに現在多宝塔中の傑作の一つである。
初重の柱はすべて円柱で、内部には四天柱が建っている。側廻りの柱には、現内法長押の一段上に旧長押取付の襟輪欠きや、長押止釘痕と取付の風蝕差が認められ、かつては頭貫と内法長押間の小壁はもっと狭かったことが知られる。
現在内部は折上小組格天井となり、天井廻縁に相当する内法長押は幣軸上に廻るが、幣軸の高さが内外異になり、外側では楯前面に取付くので、外側の内法長押が一段上ると内外の幣軸の納まりがよくなる。
外側の内法長押を一段上げると、両端間の連子窓も高いものになり、形がより整ったものになろう。この塔は和様になるが、内部の仏壇は禅宗様で、その腰の唐草彫刻はすこぶる優美な作である。ことに正面勾欄は平桁がなく、蕨手と地覆間の網目に巴文の入った透彫りは他に類例のない珍しいものである。
清文堂「和歌山県の文化財 第2巻」より