3代 綱教
寛文5年(1665)乙巳8月26日、光貞の嫡子として若山に生まれる。幼名を長光丸、寛文10年正月7日長福丸と改める。
寛文12年5月、初めて将軍に御目見、元服して常陸介と改め、綱の御字拝領。延宝4年(1676)正月従四位下、同年11月左近衛権中将に任官、12月従三位に叙せられる。
延宝9年(1681)7月18日、将軍綱吉息女鶴姫とご縁組、貞享2年(1685)2月御婚礼。元禄11年(1698)4月22日、34才にて家督襲嗣す。同年12月権中納言に任官。先代の余勢と、公族多く藩費がかさみ常に藩財が不足がちだった。元禄13年(1700)正月、音信贈答の制を改正し、冗費の節約を努め、専ら倹約を基調とした政治を行ったが、宝永2年(1705)5月18日病のため41才で薨去す。菩提寺下津の長保寺に葬られる。
法号 高林院殿三品前黄門雲峯浄空