4代 頼職
延宝8年(1680)正月17日。光貞第3子として生まれる、幼名長七。元禄8年(1695)12月従五位下内蔵頭に任叙す。元禄9年(1696)12月従四位下左近衛権少将に任官。元禄10年(1697)5月15日越前国丹生郡之内56箇村高3万石拝領。宝永2年(1705)5月綱教養子となる。同年6月遺領御相続。同年7月父光貞病にて看病の為江戸より急ぎ帰国。同年7月13日相続に付、知行3万石。御屋敷とも返上し対山公看病致せしが8月8日光貞公薨去。自身も病に倒れ同年9月8日志半ばにして薨去し、下津の長保寺に葬られる。
法号 深覚院殿贈相公三品圓巌真常大居士
正徳3年(1713)11月9日従三位宰相御贈官
天皇の命にて「参議」追贈される。