6代 宗直
伊予西條松平頼純の第三子として天和2年(1682)7月25日江戸青山西條邸にて生まれる。幼名甚太郎また義大夫、後玄蕃頭右京大夫と称した。元禄11年(1698)2月28日御名頼致と号し御判も極る。宝永2年(1705)12月19日従五位下叙玄蕃頭に任せらる。同3年12月19日従四位下侍従に任官す。正徳元年(1711)11月22日頼純遺領相続す。同年12月朔日左京大夫と改め第2代西條藩主として藩政を行う、同2年(1712)12月15日左近衛権少将に任官、吉宗が将軍となり、正徳6年(享保元年・1716)5月1日御本家紀州家を相続し徳川と改める。同年7月5日正四位下左近衛中将に命ぜられて同日従三位に叙せられる、宗の字を拝領して紀伊中将宗直と称す。同年12月8日宰相に任官す。先主吉宗の遺訓を守り、享保3年(1718)12月1日権中納言に任官。
宗直信仰心厚く神社仏閣を保護し大切にした。領内を巡見し孝子にはよく賞を与えられ、また領民には「父母収」を下賜され、享保7年(1722)家中倹約令を出し節約を命ず、享保年中数度の飢饉に災いされ領内の松山を払い下げて窮乏を救えど後患を残したことは誠に遺憾である。延享2年(1745)10月15日権大納言に被任、同月20日従二位に叙せられる。宝暦7年(1757)7月2日江戸中屋敷にて薨去す、同年8月2日下津の長保寺へ御埋喪。
法号 大慧院殿二品前亜相普観徹性台