長保寺 癒される瞑想 010 多神世界という現実

山王垂迹神曼荼羅 絹本着色 江戸後期 長保寺蔵
「日吉山王の諸神の姿を画面に構成したもので、諸神の数や配列に多少の異同がある。本図の場合、神殿の内陣に上七社の七神、外陣に猿面の大行事と早尾の二神と狛犬一対を配し、下方の階段付近に神猿を描いている。」
仏教が日本に伝来してから、基本的には神仏習合で、日本古来の神様と、仏教の仏菩薩天は同時に信仰されていました
それが密教では真言系が両部神道、天台系が山王神道と独自に理論化して、本地垂迹(ほんじすいじゃく)と言うのですが、日本の神々の本体は仏様ということにしました


天照大神=大日如来とか、あてはめていくわけです


よく権現様と言いますが、仏様が仮の姿で(権)あらわれた(現)という意味です
まさに神仏混交の多神世界ですね

最初のパンテオンはB.C25、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近のアグリッパによって建造され、一度焼失した後にA.D118にハドリアヌスによって再建されました
ローマ国内全ての神を等しく奉るため、内部を円形にし壁のくぼみに神々を奉り、中心の空洞部分に人間が立つ構造の神殿でした
一昨年、パンテオンに行きました

天井がドーム状に丸く開いて、雨が降れば内部が濡れます
このドームの姿には、密教の月輪観や禅の円相に通じる、深い意味があると思います

古代ローマ人の、人間中心に全ての神を敬う世界観が表現されています
これは、日本人の八百万の神々を敬う世界観にも通じる、と言えるのではないですか
ローマ帝国を創った古代ローマ人は、日本人と同じ多神世界を生きていたのです
「全ての神々を等しく敬い、自分を信じる」
これがローマ帝国の精神の基本です
現代の日本人は、この精神の一番近くにいると言えますね
そして、この寛容の精神が、これからの世界にどうしても必要だと思われませんか?
2006年に、ベネディクト16世法王のもとで、宗教対話の会議が開かれたのですが、イスラムからは誰も招かれませんでしたが、仏教からということで山折哲夫さんが招かれました
そのことについて、読売新聞に山折哲夫さんがいろいろ書いていたのですが、「事実上、世界は多神世界になっている」と指摘していたのです
一神教は、「多くの神の中から、自分はそのうちの一人を選ぶ」ということではないでしょうか
排他的になっても、多神世界という現実が変わるわけではないのです