一切諸法、仏法にあらざる無し


夕座(部分) 2018.1.4

 

我々は、感覚器官を通じて外界(空 くう)を認識し、脳内に自分なりの世界(色 しき)を構築しているのですが

 

「自分自身」というフィルターを通した人工物である「色」は、「自分自身」によって「空」を歪めている、とも言えるわけで、自分が正しいとか、物事を理解しているとか言ったところで、そもそも、「空」ではないのです

物事の本当の姿が「空」だとすると
「空」は完全無欠で、無誤謬で、事実そのものです

芸術とか科学や学問は、いかに「空」を獲得するか
いかに「色」を「空」に近づけるかという営みである、とも言えるのです

さて
我々が感じている、苦悩や厄災は、つまり「色」です
ところが、「空」が本当の世界とすると、それらの苦悩や厄災は、「空」から見れば、それはそれで完全無欠だということになってきます
苦悩とか厄災とか感じるのが自分勝手なのであって、本当は「完全無欠で、無誤謬で、事実そのものなのだ」ということになります
ここのところを、憤慨したり絶望したり諦めたりしても、「色」と「空」の関係が変わるわけではありません

では、憤慨も絶望も諦めもしないとすると、いったいどうするのか

いろいろな解決法があるとは思いますが、ここでは、仏教に限った説明をします
仏教には2500年の間、連綿と伝えられた、それなりの方法があります

僕がおすすめするのは、「癒される瞑想」ですね
この瞑想は、何気に、密教の高度な瞑想法が取り入れられています

あっけないほど単純ですよ

先ず 微笑んで
次に あなたの一番に信じる神仏の名前を呼びます(特になければ、ありったけの善意を念じてください)
次 息を吸いながら あなたを救う力が体に入ると 思う
次 息を吐きながら その力を分けてあげると 思う
何回かこの呼吸を繰り返す

これだけです

もちろん密教には、もっと複雑精緻な様々な方法が伝えられていますが、普段簡単にできないですからね

気軽に出来るのでお勧めしますよ