お堂で拝む時のコツ 理論編

前回書きました「お堂で拝む時のコツ」には、背景に仏教のきちんとした理論があります

 
専門用語で言うと、「三平等観 さんびょうどうかん」と言いますが、舎利礼というお経に説明があります
 
舎利礼(しゃりらい)

インドのデリー国立博物館にある仏舎利塔
 
仏舎利(中央部分の拡大) 
 
 
舎利礼の一節です
 

為我現身 入我我入 仏加持故 我証菩提
いがげんしん にゅうががにゅう ぶつかじこ がしょうぼだい 

以仏神力 利益衆生 発菩提心 修菩薩行

いぶつじんりき りやくしゅじょう ほつぼだいしん しゅうぼさつぎょう

「我が現身をもって入我我入し、仏の加持の故に、我は菩提を証す

仏の神力をもって衆生を利益し、菩提心を発し、菩薩の行を修す」

 
ま、わかりにくいです
 
 
円頓章にも書かれていることなのですが


己界及佛界 衆生界亦然 
こかいぎゅうぶっかい しゅじょうかいやくねん
「己界」および「佛界」と「衆生界」もまたかくのごとし

法界を三つに分けるんですね

「己界」自分の世界です
どこまでも、己界は己界です
死んでも、輪廻転生しても、法界に行っても

「佛界」大雑把に、諸仏諸菩薩や神僧のいる世界をひとまとめに佛界としておきます

「衆生界」生きとし生ける者達の世界
他人、他の存在の世界です
佛界にまだ行っていない自分以外の存在です
ですから、目覚めるまでは己界は、衆生界のなかにあります。

己界、佛界、衆生界、合わせれば法界全ての存在を説明できます

自分は自分、他人は他人なんです
どこまでも
それが、法界ではつながっています

解りやすく言えば、「心が通う事」、それが一番大事です

 
密教に三平等観という瞑想法があるのですが

我とホトケと平等
ホトケと衆生と平等
ゆえに、我と衆生と平等

ホトケが我を無条件に加持するのと同じように、ホトケは衆生を加持しています

我<ーーーーホトケーーーー>衆生

 
 
以心伝心という言葉がありますが、心が通じる、心が通う、といったことですね
 
理屈は、そういうことなんですが、じゃ、どうするの、となるわけです
 
それで、一番簡単なのが、お堂の前で
 
1 微笑んで
2 本尊様の名前を呼ぶ
3 息を吸う その時本尊様の力が体に入る、と思う
4 息を吐く その力を分けてあげる、と思う
 
となります