法華経の「金胎不二」

種子法華曼荼羅図 絹本着色 室町前期(15世紀)中央部分


塔の中の梵字の左がバクでお釈迦様、右がアで多宝如来です
左のお釈迦様が「金剛界」で、右の多宝如来が「胎蔵」で、金胎同時に供養します

法華経の見宝塔品から発展した曼荼羅です


法華曼荼羅図 絹本着色 江戸中期(1783)

極めて特殊な曼荼羅です


弘法大師は「金胎不二」といって、もともとインドや中国では別系統のものとして扱われていた金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅を一対のものにしました
「唯識と空」をワンセットにして考えなければならないからです

「金胎不二」を説く根本経典の金剛頂経(金)や大日経(胎)は、お釈迦様が説いた経典ではありませんが、お釈迦様の説法した法華経にも、「金胎不二」の思想が含まれているのです
「金胎不二」は密教経典に基づいた弘法大師だけの独創的世界観ではなくて、法華経にも内包されている、と言えるのです

ただ、この法華曼荼羅が、歴史的な順序からして弘法大師より以前に成立していたかといば、それには疑問があります
弘法大師が先で、その思想の影響をうけて法華経が曼荼羅としてまとめられたのかもしれません

鎌倉時代に至り、日蓮上人は密教を激しく攻撃するのですが、金剛頂経や大日経は元々お釈迦様の説法では無いわけで、そこに異質なものを感じたとしても不思議ではありませんが、仏教思想の延長線上に生まれた経典であることはまちがいありません


日蓮遺文断簡 鎌倉後期

日蓮上人の御真蹟です
久遠寺から紀州7代藩主宗将の生母永隆院が賜り、それが長保寺に寄進されました