平成22年 インド、ネパール、タイ巡拝紀行
2010・2・12−2・20

 

 

2010/02/01

薬の山

ウェットティッシュやら風邪薬、下痢止、整腸剤、ビタミンなど

これ、インドに行く準備です
12日に出発です

むこうではトイレでお尻は左手で水で洗うのです
旅行者が直ぐに慣れるような習慣ではないな
でもって、ティッシュは多めに必要です
仏跡参拝はインドの田舎に行きますから、高級ホテルのようなトイレばかりではありません

下痢は、水に十分注意すれば、ほぼ大丈夫でしょう
サラダは水で洗いますから、食べないほうがいい
火の通ったものだけ食べるようにしても、まあ、下痢する時はします
インド人でも、都会の人が田舎に行くと下痢します

風邪薬は、この季節、日中40度、夜1度位で寒暖の差が激しく、一日の間に季節の変わり目があるようなものなので必需品です

厳しい自然環境ですよ
これでは日本人のほうが長生きするわけです

2010/02/07

仏跡巡礼の本

インド仏跡巡礼 前田行貴

イラストで読む仏跡巡礼 菅原篤


案外、仏跡についての本は少ないです
比較的気軽にインドに出かけることができるようになったのですから、もうちょっと仏跡に関心を持ってもらいたいですね
 
 
今、インドの仏跡地では、タイからの参拝が多いようです
10年位前は、地続きですから、バスで巡礼客が来ていましたが、現在はブッダガヤまでバンコクから直行便があるので、飛行機で参拝に来る方も増えていると思います
タイはインドとのビジネスを拡大していて、益々増えると思われます
 
それが、タイからの団体は仏跡地でタイ式の参拝をするのですが、時間が1時間以上はざらで、他の参拝客がいてもお構いなしなので、順番待ちをする団体が出発時間に間に合わなくなったりしてトラブルも多いのです
まあ、人数が多くなって、わがもの顔になったと
 
 
お釈迦様の生誕地や成道の地、涅槃の地など、他にないわけで、これから巡拝が盛んになれば、こうした問題も出てきますね
  
日本も仏教国ですから、タイに勝手気ままに振舞われて、大きい顔をされては寂しいですね
 
日本では専門家の先生でもインドに行ったことのない方が多く、関心が偏っているのがわかります
お寺の住職さんでも、インドに関心の無い方が多いですよ
専門家なら、鷲峯山やルンビニー、ブッダガヤ、クシナガラに行っていなかったら始まらないと思いますけどね
ニューヨークやロサンジェルスに行ったことのないアメリカ専門家などいないわけで、どこか勘違いしてるんじゃないですかね
  
  
インドの仏跡に立つと感じますが、仏教は世界宗教です
日本は、極東の島で仏教を守っているのです
お山の大将になったつもりだとしても、それは、井の中の蛙ですよ
  
仏教には世界宗教になる普遍性と、地域に適合する融通無碍な適応力があるのです
一神教やカルトではなく、ダルマと実践に基づいた普遍的思想があるのです
 

檀家や信者のご機嫌伺いばかりしてると、忘れてしまうんじゃないですか

2010/02/12

インド仏跡巡礼出発

関空の北ゲート内です
0時30分の便で、いったんバンコクに飛んで、それからネパールに入ります

 

 

2010/02/15

涅槃の日、クシナガラ

2月15日はお釈迦様の涅槃の日です

僕と長男と二人でインドの涅槃の地、クシナガラを参拝いたしました
他に日本人はいなかったので、日本代表でお参りさせていただきました

インドでは観光地になっていて沢山の人で賑わっています
周辺にホテルが何軒もでき、日本、スリランカ、タイ、韓国チベットなどのお寺もあります

 

 

2010/02/16

初転法輪の地、サールナート

お釈迦様が悟りを開いてから、初めて説法した場所がサールナートです

世界的な観光地でもあるベナレスにあるので、世界中から多数の観光客が訪れています
きれいなホテルも次々と建設されています

今日もスリランカの団体やタイからのお参りなどで賑わっていました

 

2010/02/18

ベナレス

ガンジス川のほとりの聖地です
インドの人は死んだら火葬にして、その灰をベナレスで流します

 

悟りの地、ブッダガヤ

お釈迦様が悟りを開いた所です
写真の塔は4世紀頃のものです
13世紀頃、イスラムの破壊を免れるため地中に埋められましたが、また発掘されました
非常に綺麗に整備されて沢山の観光客が訪れています

気持ちのいい微風がそよいで、聖地の中の聖地です


この文章はインドから携帯で送っています
ちょっと長文は辛いので、日本に帰ったら他の写真もアップするつもりです

 

 

2010/02/19

パトナ

パトナのホテルの窓からの風景です
遠くに小さく写っているのは、巡拝中乗ってきたトヨタのイノーバです
イノーバは日本では売られていません
今インドでは時速100キロで飛ばせる道もかなり整備され、巡拝も快適になりました
運転手は自動車の中で寝ます

初日のカトマンズとルンビニーはネットが繋がらずblogが書けませんでした
昨日は霊鷲山に参拝しましたが、携帯で写真を撮り忘れました
今日は時間があったのでホテルでガイドのシャルマさんに、うちの寺のホームページを見てもらいました

凄い時代になったものです

仏教の意義も変化するでしょう

 

 

2010/02/23

インド巡拝地図

インド仏跡巡拝地図に

スジャータストゥーパ
迎仏塔
竹林精舎
七葉窟
バイシャリ
ケサリヤストゥーパ
マウルヤホール

を追加しました
これだけ網羅的な地図は他に無いものです


より大きな地図で インド仏教聖地 を表示

 

 

2010/02/24

仏跡は観光地化してます

写真はナーランダー大学跡に遠足にきている女学生
 



インドは「像の歩みにようにゆっくり変化する国」といわれてきましたが、今回約10年ぶりに訪れて、その変化にびっくりしました

ホテルで、水がちゃんと出る、お風呂でお湯がいくらでも使える、切れた電球が無い、どこでもミネラルウォーターが一本サービスでつく、タオルや石けん、トイレットペーパーもちゃんとあり、水もきちんと流れる

時速100キロで走れる道が縦横に整備されてきている
車はタタしかなく、特に自家用車は一種類しか無かったにが、今はタタでも何種類も自家用車があり、日本車もスズキやトヨタが何種類もあり、どんな田舎にいっても渋滞がある

仏跡地はどこも観光客がいっぱいで、混雑していて、ゆっくり参拝できないほど
どこの仏跡でも学校から遠足にきている生徒の団体に出会う

道を走っていると、どこに行っても、制服で通学する女学生が目につく
政府が教育に力を入れていて、今は学校が足らず時間をずらして教室を使うところもあるらしい

 

2010/02/26

釈尊の遺灰 バイシャリ


パトナ博物館に特別室があり、厳重に管理されて、釈尊の遺灰が納められたソープストーン製の容器が展示されています
バイシャリのストゥーパを発掘していて、最近発見されたものです

パトナ博物館



より大きな地図で インド仏教聖地 を表示


容器の中には、釈尊を火葬にした時の灰が納められていますが、中身は見ることはできません

展示の様子はこちらでご覧いただけます


おそらく、日本で写真はこれだけではないでしょうか
特別に許可され撮影できました

現在インドでは博物館での写真撮影は原則禁止されていて、デリーの国立博物館以外は撮影できません

バイシャリストゥーパは、第二結集の行われた場所に建てられたストゥーパで、この結集で上座部と大衆部が決定的に分かれることになりました
いわば大乗仏教発祥の地ですね

バイシャリストゥーパ

より大きな地図で インド仏教聖地 を表示

写真からでも、痺れるような霊気が発せられていますが、感じられますか?



 

2010/02/27

ボーダナート カトマンズ

ボーダナートは、カトマンズ市内にありネパール最大の寺院です

周辺は、大変な雑踏で、参拝客や観光客でごったがえしています
塔のすぐ周囲を円形に取り囲むようにお寺や土産物、ホテル、レストランが立ち並び、落ち着いて参拝できる状態ではありあせん


写真は青空ですが、前日に珍しく雨が降ったそうで、埃がなくきれいな空は、もはやカトマンズでは珍しいそうです
市内は排気ガスと埃で、多くの人がマスクをしています
王政が共和制に最近変わり、ガイドさんいわく、国の責任者がいなくなったので交通法規を守る人もいなくなったそうです
たしかに、道はどこも渋滞していて、信号はあってもだれも見ておらず、騒然として、ゴミだらけです

町全体に、落ち着きがなく、情緒もありません

かなり、がっかりしましたね

 

 

2010/02/28

ベジタリアン考


カトマンズアンナプルナホテルのレストラン

アンナプルナホテルはネパールで最高級のホテルです
ここでは、特に念を押して頼まないとネパール料理が出てきません

思うに、高級というのは、どこでも似ています
ホテルなど特にそうです
これが、どこか他の国のホテルのレストランだといってもわからないです

貧乏というのは、失礼な言い方かもしれませんが、ユニークで、個性的です
国で言えば、エキゾチックですらあります

都会はどこの国でも、東京や、大阪のような感じで、感激も新奇さもありませんが、田舎は、その土地で全て違います
現代社会は、むしろ無個性な文明なのでしょうね


さて、インドに行くと、先ず飛行機の中で、ベジかノンベジか聞かれます
これは、ベジがベジタリアンで、つまり、精進料理、肉を使いません
ノンベジが肉を使う、我々から見れば、普通の料理
インドでは、ベジが普通ですから、インド方面行きの機内食から違ってきます

ベジは、ヒンドゥー教の教えからくる、宗教的な意味の食事というのが、そもそもの理由です
まあ、仏教も、本来は精進料理を食べるべきで、どこの本山でも、修行中は精進料理です
これは、生き物を殺さない、不殺生からきています

で、インドの本当のカレーは、ベジカレーです
豆ですね、それと全粒粉、あとミルク、バター、ヨーグルトと、人によっては卵を食べます

インドではどこでもベジが普通ですから、肉を食べないと言っても、特に不便はありません
日本なら、かなり神経を使っても、だしに鰹をつかいますから、難しいですね

インドのホテルでは、外国人には、鳥や羊、最近では魚も出ますが、インド人はベジが普通です

ですから、インド人は宗教的に厳格で真面目だ、と言ってもいいんですが、そこはやはり、その国特有の事情もあります

たとえば、インドで普通の家庭で鶏肉を食べるとなると、市場で生きた鳥を買ってきて、自分で殺して羽をむしって調理しなければなりません
冷蔵庫が普及していないし、それよりも、電気が十分にいきわったておらず、停電もしばしばある状況ですから、肉の貯蔵ができないのです
羊を食べるなら、おおごとになりますね
牛は神様の乗り物ですから殺さないし、豚はイスラムで禁じられているので食べません
魚は、内陸部は川が少ないし、海から遠いので手に入りません
ですから、日常で肉を食べるのは、かなりハードルが高いのです

インドでは停電は、場所によっては暗くなってくれば毎日あります
送電線を切って、電気を盗む奴がいるからです
大きなホテルには自家発電がありますから、停電でも冷蔵庫が止まりませんから、肉を出すことができるのです

大陸では、水にミネラルがが多く含まれていて、カルシウムは不足しません
タンパク質は、主に豆から摂ります
それで、間に合うということですね

今回のインド人のガイドさんは、市場で鳥が売られていると「かわいそう」と言ってましたが、まあ、仏教徒である日本人も、グルメなどと言わずに、豆をもっと食べれば、それはそれで間に合うんですけどね
ですが、肉を手に入れるのが容易なので、特になにも考えずに肉を食べているということです

今の日本では、かなりの強い信念を持って努力しないと、肉を食べずにいることはできません
インドでは、たまたま社会的に容易だから、菜食が根付いていますが、これから電気が十分にいきわたれば変わるのかもしれませんね

 

 

2010/03/01

スワヤンブナート カトマンズ

スワヤンブナート、猿が多いので別名モンキーテンプルともいいます
金剛杵の上に猿が乗っています

ここも大変な雑踏で、拝むどころではありません
上層部はお色直しの工事中でしたが、観光客が非常に多いです
この日は2月13日で、次の14日が、旧正月にあたり、中国系、チベット系の人たちは祭日ですので人がいつもより多いようですが、まあ、霊場といった環境ではありませんね
 
 
街中で毛沢東派の旗をみつけました
中国が共産主義国としてオリンピックを開催するなど目覚ましく発展しているので、共産主義に対するあこがれが強いようです
ちょっと日本にいたら理解できない感覚ですが、ネパールは中国とインドに挟まれていますから、揺れに揺れています

僕はいままで、国外の霊場に参拝する時、その国の政治にあまり関心をもたないようにしてきました
それはそれ、これはこれで、日本の自分の身の回りのことさえままならないのに、外国のことなど構っていられないからです

今回、初めて、ガイドさんと政治の話をしました
ガイドが政治の話をするのも、もう10回くらい外国の霊場に参拝しますが、初めてのことですね

ネパールは、とても悪い状況です

政治家の腐敗がひどい(これは日本も同じだと説明しました)
王政を廃止して共和制に移行したのですが、勢力を伸ばしているのは毛沢東派です
どうらや、破壊するだけ破壊して、混乱を収拾するつもりはないようです
革命を狙っているのでしょうね
ガイドさんは国の責任者がいない状態だと言っています
日本には天皇制がありますが、ネパールから見れば、天皇陛下が、日本国の最終責任者であって、天皇陛下がしっかりしているので、国がうまくいっているように見えるのです
まあ、参考になる考え方です


共産主義は、とどのつまり、権力と暴力で、言論と経済活動を統制します
この統制を、独裁によっておこないます
秩序は独裁者によって決められますから、いたって効率的ですが、国民から創意工夫を奪い、歴史的には自由主義にかないません

自由主義は、言論と経済活動の自由を基礎に成り立っていますが、公序良俗のためには制限もあり、三権分立による民主主義で独裁は否定されます
秩序は、大雑把にいえば、個々人の意志による判断で決められます
意志を支えているを根源は、国民性であり、宗教観であり、常識でしょうかね

ネパールは、教条主義的な宗教から離れ、国民生活の向上に役立つ制度を模索することになりますが、生活の中に深く宗教観がしみわたっていますから、やはり、独裁者よりも、個々人の判断を信じる選択をすると思いますよ

そういう意味でいえば、宗教施設が観光地化し俗化しているのも、宗教が大衆化し生活の一部となる一面もあり、悪い面だけではないと言えますね

 

 

2010/03/04

インドの道

クシナガラからサールナートへの道を車の中から撮影したものです
どこもけっこう混んでいます
対向車とのすれ違いも、こんなもんです
追い越す時は、バックミラーのない車も多いのでクラクションを鳴らす決まりです
非常に危険です
日本人には運転できませんね

道は、ほぼどこも綺麗に舗装されて、かなり飛ばせます
いままでの仏跡巡拝のイメージとは違います
予定時間どおりか、それよりも早く目的地に着けます
今回は、ガイドのシャルマさんもびっくりするくらいスムーズに移動できました
これからは、これが普通になるのでしょう


今回の巡拝を通じて乗っていた車は、トヨタのイノーバというインド仕様の車です(日本では売っていない)
同じ車をよく見かけます
スズキも多い
インドにスズキだけで6車種販売されています
ワゴンRはインド仕様で1100ccで売られています



「インド人にもわかる仏教講座」

シャルマ「俺はヒンドゥーで、生まれてからずっとベジ(菜食)だ、すごいだろ」

僕「へー、すごいね。仏教はそんな難しいことは全くないから簡単だよ」

シャルマ「簡単なの?」

僕「そう。人はそれぞれ、自分の道を進む。どのように進むかは、その道を進んでいる自分が決める。その時、善いことをし、悪いことをしないようにする。それだけ」

シャルマ「それが仏教なの?」

僕「イージー、あんど、シンプル。ベジで独身でも、悪いことをすれば悪い人、いいことをすれば善い人。だから善いことをしましょうってこと。善いか悪いかは、道を進んでいる自分が決める、というか、実際に人は皆、そうやって生きている」

シャルマ「たしかに、ベジでも悪い奴は悪い、ノンベジでも善い人はいる」

僕「仏教は、信じなくても、念じなくてもいいんだよ。お釈迦様が念じてくれているから。人には皆、仏性があるから、最後は、ちゃんとするべきことがわかるのさ」

シャルマ「へー、それを英語で書いた本を出しなよ」

僕「ブログに書いたら教えるよ」

シャルマ「おー、読む読む。仏跡巡拝はいいと、ちゃんと書いてくれ」



2010/03/11

ブッダエアー

ネパールのカトマンズから、お釈迦様生誕の地ルンビニーの最寄り空港のバイラワまで、ブッダエアーの18人乗りの飛行機で飛びます



茨城空港が、開港して、国内98番目の飛行場だそうで、採算がどうなるか心配する報道が続いていますが、ネパールのように、小型機を飛ばせば、全然問題無いんですよ
人口3000万人の国で、問題無くローカル空港があるんですから、やりかた次第で十分やっていけるはずなんです


これはトイレのマークではなくて、搭乗口のマークです
男女別々に通って、身体検査を受けます
まあ、この程度の設備で、飛行場はやっていけるのです


フライトはヒマラヤを遠くに眺めて快適です


操縦してるのを後ろから見ることができます
副操縦士が新聞を読みながら飛行してます
平和ですな

 

2010/03/17

ルンビニー法華ホテル


ネパールのバイラワー空港から1時間ほどのところに、ルンビニー法華ホテルがある
このホテルは、10年ほど前は日本人経営の法華ホテルの系列だったが、それをインドのホテルチェーンが買いとってインド人経営になっている
前回行った時は、日本人のマネージャーがいたが、今はインド経営になったせいもあるが、このあたりの夏の気候は日本人にはきついせいか、、今はいない
それでも、食事は、単粒米のごはん、味噌スープ、そばもどき、なんちゃって豆腐、など、和風テイストのものを出してくれる

環境は、ごらんのとおりのリゾートホテルで、仏跡を巡拝していると、ほっとして癒される
このホテルは、ルンビニー園の中にあり、マヤ堂遺跡まですぐ近くだ

このルンビニー園計画は、全日本仏教会と丹下健三氏がつくりマヤ堂の発掘調査も日本の全面協力で行われた

僕は、前回来たときはは発掘中だったが、今回、きれいになって、まあ、お堂というよりは、「遺跡」として保存されているのだと知った

インドの仏教聖地を巡拝していると、完全な、「遺跡」として保存されている場所が多い
日本人的な感覚で言わせてもらうと、納経、掛け軸、ローソク、線香、ご祈祷と回向の受付、お守りやお札の授与などやってもらえると、非常にありがたいのですが、複雑な宗教事情のせいか、無味乾燥な歴史展示施設になっている

それでも、お釈迦様の存在感は、圧倒的にあるわけで、結論的に言えば、お堂はなくとも仏教はできるということです



 

2010/03/22

マヤ堂遺跡 ルンビニー



ネパールのルンビニーのマヤ堂遺跡です
たくさんの人がピクニックに来ています

遺跡と言うことにしましたが、つまり、発掘調査した遺構の上に建てられている、鞘堂なのです
覆い屋ですね

お釈迦様の生誕地ですが、発掘調査するまで、インドのピプラワという説もあり、結論が出ていませんでした
ピプラワからは、仏舎利も発見されていて、この仏舎利は、現在デリーのインド博物館にあり、誰でも拝観できます

最近の発掘で、生誕地の印のマークストーンがマヤ堂遺跡で確認され、いちおうの決着となりましたが、このマークストーンも、表面がイスラムに削られてしまっていて字は読めません




お堂の内部はご覧のとおりの遺跡そのものです
渡り廊下が造られて、遺跡を踏まずに見ることができるようになっています


10年前は立派なお堂があって、お寺の風情でしたが、ほんとの学術的遺構にしてしまいましたね

中央部に昔のマヤ堂にあった、お釈迦様の誕生を彫ったレリーフがありますが、昔のマヤ堂の高さに合わせて展示してあるので、見上げるような位置になってしまっています


これも、イスラムに削られています


普通に考えると、まったく、イスラムは仏敵ですね
キリスト教が苦労したのもわかりますよ

なんのこっちゃわからないと思いますので、日本人が大理石で復元したのがこれです
今は、ルンビニー園の中の日本寺にあるそうです
復元品ですから、遺跡には置いてもらえないのでしょう


ま、このように、ただの遺跡になってしまったかのようですが・・・・

圧倒的な、釈尊の存在感があります
ビリビリと痺れるような強烈な霊気が籠もっています

お堂の裏手にアショカ大王の建てた記念碑があります

「神がこの世に生まれた」

思わず口からもれた、感動の言葉が刻まれています


お堂の中では、ローソク線香は使えないので、こちらにお供えするようにしてるみたいです

まあ、お参りはしにくくなりましたね

 

ルンビニー園

ルンビニー園は広大ですから、車から降りても1kmくらい歩かないとマヤ堂遺跡までいけません
ごらんのとおりのリキシャー(日本語の人力車が語源)で移動します
往復で100ルピー、お参りの間待たせたので20ルピーチップを追加

「あなたはリッチマン、おいらはプアーだ」とか言うから、「ノープロブレム」と言ったら、笑ってた
どのみち、ネパール社会をどうこうすることなど一介の巡礼にはできません
せいぜい皆さんもルンビニーにお参りして、リキシャーに乗ってあげてください


参道の一角にお土産物屋が連なっています
こういうことは、日本人が教えるらしいです
チベット式の仏具とヒンドゥー式の道具ですね
数珠は、日本に帰ってから作り直さないと、具合がわるいです


ぼろバラックですが、延々と、こんなもんです
これが普通ですよ
廃墟かと思うと、学校だったりします




お参りを終えてホテルに帰ると、野生のクジャクが迎えてくれました
幸先の良い感じです

 

 

2010/03/24

クシナガラ

お釈迦様の涅槃の地です

公園として綺麗に整備されて、地元の人たちがたくさんピクニックに来ています
これも10年前には考えられなかったことです



サリーが綺麗です
田舎のほうがサリーが多い印象ですね
畑仕事も普通にサリーでします


クシナガラには、新しいホテルも続々と出来ていて、各国のお寺も建ち並んでいます
全く様変わりしてしまいました

ほんとに、なんにもない所でしたからね

新しくできた、ロイヤルレジデンシーホテル
法華ホテルと同じ系列です
ガイドのシャルマさんは、このグループの社員です

切れている電球はないし、水洗トイレの水はちゃんと流れるし、世界標準のまともなホテルです

 

2010/03/25

涅槃堂 クシナガラ


2010年2月15日にお参りいたしました

涅槃堂は釈尊が涅槃に入られた場所に建てられています
沙羅双樹の間で涅槃に入ったとお経に書かれているので、日本人が公園に沙羅の木を植えました
その木の間で涅槃に入ったので、双樹と言うのです

内部は10年前と変わらず、昔のままです

涅槃像は、グプタ時代(5世紀頃)のものです



かなり大きな像ですが、タイに行くともっと大きくなります
なぜか涅槃像は大きいのです
涅槃という概念を表そうということでしょうか

仏教では、悟りを開いた釈尊を有余涅槃(うよねはん)、入滅後を無余涅槃(むよねはん)と言って、肉体のあるうちは完全な悟りの状態ではなく、肉体が消滅した後を完全無欠な悟りの状態と考えています

そう考えれば、クシナガラが仏教最高の聖地ということにもなります

肉体は移ろいゆく限界がありますが、肉体を捨てた後も意識が存在するなら、死による限界はありません
キリストの復活も、キリスト教にとって、どうしても必要な事跡ということになりますね

仏教では、仏性が全ての生物にあるとしていますから、涅槃の世界は、誰にでもあります
釈尊のクシナガラにおける最後の説法は「一切衆生悉有仏性」です

「今の僕らの意識は空から肉体が借りてきたものだ」、と考えてみると、死は意識をまた空に返すだけということになります
葬式、法事、お墓、仏壇など、すべて、意識の不滅が前提に成り立っています
輪廻転生も意識の不滅があれば成り立ちます

妄想を抱いたまま死んでしまうと・・・・妄想世界に行きます
悟りを開いてから死ぬと・・・・・涅槃です

仏教は、普通の我々が死ぬと、生きていた時してきたことに従って、輪廻転生すると考えています
実は、ここのところはヒンドゥー教といっしょです
ヒンドゥー教では、貧乏に生まれたのは前世の報いだから、死ぬまで貧乏階級でいなければなりませんが、仏教は、生まれが悪くても生きているうちに挽回することもできると考えています(これが画期的な考え方なのですねぇ)
仏教の考え方を延長すると、神様も悪いことをすると地獄に行く、ということになります
もちろん善いことをすれば、善い神様のままですけど






お堂は綺麗に塗り直してあります

丸いドームは涅槃に立ち会ったアーナンダのストゥーパです

アーナンダは川の真ん中で涅槃に入りました
仏滅後、アーナンダに説法に来てもらいたくて、川を挟んで阿闍世王とリッチャビ族が戦争になりかけました
それで、川の真ん中の船の上で、アーナンダは自らの意志で涅槃に入りました
ですから、アーナンダの舎利は二つに分けられ、もう一カ所、バイシャーリにもあるそうです

涅槃堂から少し離れた所に、釈尊を火葬した荼毘塚があります




インドでは2月15日が涅槃の日ということではないので、特になんの行事も行われていません
現在インドの仏教行事は、ほぼテーラワーダ式かチベット式で、日本仏教の考え方は反映されていません
やはり、地理的に遠いのと、なぜか日本では、インドの仏跡より自分の宗派の祖師を重視しますので、存在感が薄いのでしょう

 

2010/03/26

サールナート

サールナートは、釈尊が悟りを開いた後、5人の修行者を相手に初めて説法した場所です

立派なストゥーパがありますが、ここは発掘調査され、てっぺんから下に向かってトンネルを掘ってみて、結局、仏舎利が無いことが確認されています

18世紀にサールナートにある他のストゥーパ跡で仏舎利が発見されましたが、その時は値打がわからず、近くのガンジス川に流してしまったそうです
ちなみにイスラムの王様です
ガンジスは、より清くなったことでしょう

この白い服の集団のいるあたりが、仏舎利が見つかったとされる場所です

この人たちは、タイから集団でお参りに来た人達で、右端の黄色い衣の人が引率のお坊さんです
現在、タイからの団参は、仏跡地で、ある種有名です
この人達は、他の参拝客にお構いなく、ハンドマイクで延々2時間位説教し続けます
陣取ったら、動きません
人が拝んでいる前を平気で横切ります
熱心なのですが、つまり、自分の都合しか考えていません
テーラワーダ仏教の本質はどうあれ、「小乗仏教で自分の救いしか考えていない」と言われてもしかたないですね
お参りの姿勢に現れてます

ガイドのシャルマさんも
「あー、またタイ人だよーー。タイ人が来てるよーー。」と叫びます

けっこう、あちこちの仏跡で出会います



サールナートには、博物館があって、非常に貴重な仏像や彫刻などが展示されていますが、今は全く撮影が許可されていません


その博物館に初転法輪の釈尊像があります
全く別格で展示されています
博物館の中ですが、皆が礼拝しています

この写真は、まだ撮影が許可されていた10年以上前のものです
貴重な写真になりましたね

微笑んでいます
僕はこの仏像を見て、日本にある、いかつい顔をした仏像はローカルルールであって、微笑んでいるのが本当だと確信しました

仏像を初めて作ったガンダーラでも、仏像は皆、微笑んでいるのです



ストゥーパの横にテーラワーダ式の寺院があり、日本人画家の壁画があります


戦前の絵だそうで、なんとなく仏様の顔が怖いですね


2010/03/27

バーナーラシー

サールナートはガンジス川の近くで、バーナラシーの近くです
バーナラシーはインド人にとっては、火葬した灰を流す聖地です
川縁で火葬するだけでなく、各地で火葬しても灰はこちらで流します
インドは広いですから、どうしてもバーナラシーにこれない人は、近くのガンジスにつながる川に灰を流すそうです
どうしてもバーナラシーにこだわるので、全国から人が集まり、川の近くは朝からたいへんな雑踏です




インドの人はガンジスの水を聖水として、お土産にもって帰りますから、水の入れ物も各種売っています




まあ、かなりの量の人骨と火葬の灰が川底にはあると思われますが、焼いているわけで、清潔といえば清潔ですね

インドの仏跡を巡拝すると、サールナートの近くということもあって必ず立ち寄る所ですが、仏教とは直接関係はないですね

 

2010/03/28

有余涅槃とポジショントーク

クシナガラ 涅槃堂


肉体を持っている状態で悟りを開くと、まだ完ぺきな状態でないということになって有余涅槃だということになります
肉体を捨てる(つまり死んで灰になる)と無余涅槃で、余すところなく、悟りの状態だと
肉体があるうちは、生きることにまつわる煩悩から完全に解放されないと考えるからです

釈尊は、ブッダガヤーで悟りを開いて、もうそのまま涅槃に入ろうとしたと伝えられています
それを、梵天が現れて、ぜひ衆生に説法してほしいと頼んで、長い伝道の道に入りました
無余涅槃にすぐ入ろうとしたのを、引きとめられて、有余涅槃を続けたわけです


株式相場の用語らしいですが、ポジショントークという言葉があります

株が上がるか下がるかよくわからない時、自分が株を買って持っていると、「株は今後上がるでしょう」ともっともらしく解説し、自分が売っていると、「株はもう駄目です。下がります」と解説します
自分が買っているか売っているか(これをポジションを持つ、と言う)で、自分に都合のいい話をするのです
そういうことがあるので、たとえば、日経新聞の記者は自分で株をすることは禁じられています
勝手に、自分に都合のいい記事を書かないためです
それと、自分が買って持っていると、どうしても、上がる材料のほうを評価してしまうのです
不利な材料が出ても、正しく分析できなくなってしまいます

たとえば、同じようなことは、戦争報道にもあります
誰でも自国の軍隊が有利なような話を好みます
負けて敗走しても、転進などと無意識に言い換えてしまったりします

身内のことや、自分の子供でも同じです
どうしても身びいきします
それが、むしろ自然です
客観的に考える、などと言えば、「冷たい奴」ということになります


それで、肉体がある、というのは、つまり、ポジションを持っているということです
自分に都合のいい話をどうしても過大に評価します
肉体を維持するためには手段を選ばぬ、ということにもなります
古神道では、肉体のない自然霊のほうが格が上と考えるらしいですが、まあ、一理あります

では、なぜ、釈尊は有余涅槃を選んだのか
梵天に頼まれたというのもあるでしょうが、すぐに無余涅槃に入ってしまえば、人々が真実に触れることができず、闇のなかに取り残されるからです
説法を聞いても理解できない人も多いが、説法を理解できる人もいる、とお経には書いてあります(このへん、案外シビアです)

ですから、ポジショントークは、全て悪いかというと、そんな単純ではない、ということですね
釈尊がポジショントークをしてくださったおかげで、今の我々は仏教に触れることができるのですから

仏教の中にある、現世利益は、だから、まったくのポジショントークですよ
現在の宗派仏教もポジショントークですな
伽藍の維持管理、仏像修復など、完璧な、無余涅槃じゃないのです

ポジショントークには、混じりけが有る、ということをですね、忘れちゃいけませんね

 

 

2010/03/30

ブッダガヤ

釈尊が悟りを開いた地、ブッダガヤ

ブッダガヤには世界中の仏教国のお寺があり、管理委員会があって、管理されています
他の仏跡と違い、遺跡として保存されているのではなく、お寺になっています

大きな塔がありますが、イスラムの侵入の時、当時の仏教徒が埋めて逃げたのを、イギリス人のカニンガムによって発掘されました
だから、周りは小高い丘になっていて(埋めた土が山になっている)、階段を下りてお参りします
これも、イスラムの傷跡ですね
どうなんでしょうね、今のイスラムの方は、こういう状況を知ったら、誇りに思うんでしょうかね
インドではイスラムの人口も多く、ヒンドゥーやイスラムの原理主義者を刺激しないよう、隔離するようにしているみたいです
ヒンドゥーの大きなお寺の前には警察官がいて、検問しています
イスラム寺院は、イスラム教徒以外は中に入れないのが建前です
観光客は大人しくしていれば入れてもらえますが、地元の人はどうなんでしょうね

仏教徒は、このブッダガヤでも、各人各様にお参りしていて、多様性と言えばそうだし、まとまりが無いと言うこともできます
それが、世界に広がった要因でもあるのでしょう






塔の中には、立派な釈尊の像があります
タイ式の仏像ですね

これは降魔成道の像と言って、右手を触地印(手を伏せて指先で地に触れる)にしていますが、この塔の裏側に悟りを開いた場所である金剛宝座があって、そこにも降魔成道像があります
金剛宝座は、15年前はその横に座ってお参りでき、降魔成道像も間近で拝見できましたが、オウムの麻原が、その金剛宝座に上り、釈尊の生まれかわりだ、とやったもんだから、今では厳重に柵をして近寄れなくなってしまいました


金剛宝座の横に、仏足石があって、10年前には各自ここで拓本を自分で取ることができましたが、なにかあったんでしょうね、今はガラスケースで覆われています
だから、この拓本も、お手元にあるなら、貴重品でしょうね

 

 

2010/03/31

日本寺 ブッダガヤ


ブッダガヤには,世界中の仏教国の寺院がありますが、もちろん、日本のお寺もあります
最近では、新興宗教などが盛んに寺院を建設していて、インド各地に日本の建てたお寺があります

日本寺は全日本仏教会が建てたお寺で、住職は各宗派回り持ちで、今年の当番は天台宗です
92歳になる半田座主も、ここまで来て普山式をしました



建物の中は薄暗く、日本式ですな
申し訳ないけど、壁画が不気味です
インドの人は日本仏教に、どんな印象を持ちますかね
どうも、侘寂(わびさび)は日本人だけです
世界中どこでも、宗教建築はギンギラが多いです


キリスト教の教会はステンドグラスなど光を取り入れる設計が特徴ですが、仏教は、それは無いんですよ

キリスト教は「仏性が全ての人にある」、とは言いません
神は一人で、我々は「迷える子羊」です
で、神のイメージが、建物に差し込む太陽の光です

仏教は、各自の心に「仏性」があって、各自の知恵で自分の「仏性」に気づく、というのが基本コンセプトです
まあ、密教は、そこに仏の助けがある、となってきますが、基本は同じです
で、自省する、坐禅する、といった自助努力が重視され、外光を取り込むよりも、薄暗い瞑想的な空間が作られていると

僕的には、せっかくのブッダガヤですから、大塔にお参りに行けばお寺を建てる必要はないと思えるのですが、どうでしょうか
立派なお寺ですが、半分以上、意地の張り合いのような気がしますね

 

 

2010/04/01

スジャータストゥーパ ブッダガヤ

ブッダガヤから尼連禅河を渡ったところにスジャータが釈尊に乳粥を供養したところに作られたスジャータストゥーパがあります

なんでもない、日干しレンガの山です

現在の尼連禅河は、まったく水がありません
僕が10年位前に来た時は、くるぶし位の水があり、浅瀬を靴を脱いで歩いて渡りました
ガイドのシャルマさんに話したら、ガイドを初めて10年経つが水が有るのを見たことがないそうです
内陸部は温暖化で想像以上に乾燥が進んでいるのかもしれません
二酸化炭素が温暖化の原因なら打つ手もありますが、これは、かなりたいへんですね
この調子では、インドは干乾びてしまいます


遠足ですかね、チベット仏教の小僧さんたちがお参りにきてました
インドでも中国でも、大昔の日本で一休さんがしてたのと同じように、、お寺に小僧で入り、教育をうけ、独身を通し、お坊さんになります
日本の坊さんは、世襲で、しかたなく家業を継ぐように坊さんになる人が多いですから、もう10年もしたら、日本仏教はとことん馬鹿にされるようになるかもですね
10年かからないかな
日本仏教は、空疎な権威主義に寄りかかかるようにならなければいいですけどね



 


仏跡は観光地化してますから、どこでも、ご覧のようなお土産品を売っています
特産品と言えるようなレベルでないのが、ちょっと悲しい
10年前に比べると、店の数が10倍位増えた感じですね
これから、もっと賑やかになるでしょう

 

 

2010/04/03

ラージギル温泉


霊鷲山のあるラージギルに、温泉があります
これは、上から眺めた様子

温泉は、露天ですね
インドでは服の上からお湯を浴びるようです
すぐ乾きますから

観光地として賑わっています
この温泉の横の道を上ると、第一結集をした七葉窟に行けます


山を30分ほど登ると、釈尊の当時のマガダ国が一望できます

山に囲まれた盆地です
現在は、インド人ですら夏場暑すぎるので、人は住んでいません
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この森の中に、ビンビサーラ大王が幽閉された牢屋跡とか、名医のジーバカの病院跡とか、車の轍跡とかがあります
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山の頂上にジャイナ教のお堂があり、その真下が七葉窟です
10年前は、山に登る人などありませんでしたが、今は、山の上も観光客で賑わっていて、アジャンターにあるような籠かきもいます
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お堂の横の展望台からは、宿泊したラージギル法華ホテルが見えます
多分水脈の関係でしょうか、政府の建物などが立ち並ぶ一角です
ホテルの、ちょうど上の山が七葉窟になります
七葉窟に水が出たので結集地に選ばれたのかもしれません
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レンガの円筒の建物がホテルです

 

 

2010/04/22

霊鷲山

霊鷲山香室からの夕日 2010.2.18

霊鷲山は参拝客で大変に混雑しています
学生の遠足やタイなどからの団体客で、日の出前から賑わっています
事前に聞いていたので、一番空いている時間帯の日没頃を選んで参拝しましたが、ご覧のとおりです
参拝する場所取りで必死でした

様変わりしました
10年ほど前は、山賊が出るようなところだったのです




2010/05/20

タイの仏教

ワット・ポー 2010.02.21 長さ46m 高さ15mの涅槃仏

タイのお寺をお参りしている時、何気に、一緒に行った長男と、「外国の参拝はいつできなくなるかわからないから、行ける時にいかなければならない」と話をしました
長男は高校生の時に、アメリカのシアトルでホームステイしたことがありますが、帰国して次の月に911があり、その高校から後輩がアメリカに行くことがなくなりました
平和なようですが、いつなにが起こるかわからない時代です


東南アジアで、赤と言えば、中国です
タイでデモをしている人達は、赤シャツを着ていますが、背後に中国の影を感じますね
ミャンマーでも、日本人ジャーナリストが射殺されましたが、タイでも最初に殺されたジャーナリストは日本人です
手口が酷似してますね
タイでは、発砲したのがタイ人とは思えません
本来大人しい人達ですから
日本人なら、何人殺しても仕返しにはきませんから、騒ぎを大きくしたいならうってつけです
ミャンマーの軍政は親中派ですが、赤シャツの人たちは、タイをミャンマーのような国にしたいんじゃないですか

ミャンマーも仏教国、タイも仏教国ですが、どちらも上座仏教です
ざっくり言って、上座仏教では、坊さんは坊さん、一般人は一般人で、別々です
基本的に、個人の救いが中心で、社会的な活動は軽視されています
仏跡では、近年、タイからの参拝が多いそうですが、自己中なのが特徴で、周りの人が参拝してるのになんの遠慮もありません
チベット、韓国、台湾の人たちが多い時は感じなかったことですね

拝んでいる前を平気で横切る、周囲にお構いなしにハンドマイクで延々と説教する(2時間位)、食材をホテルに持ち込む(インド式の精進料理じゃだめなんですかね)、仏跡のど真ん中に陣取って延々と講釈をつづける(場所を譲らない)、など
傍若無人ですな

上座仏教を、別名、小乗仏教とも言いますが
まあ、自分の救いしか考えてないと批判されるのです
ちなみに、チベット、韓国、台湾、日本は大乗仏教です

どこがどう違ってそうなるのか、ですけど

大乗では、やはり慈悲を中心に据えるのです
小乗では、菩提ですね
これ、仏教的には、ものの両面なのですが、違うものは違う

ふと、物事の、ネガティブな面からとらえるのと、ポジティブな面からとらえるのの違いに似てると思うのです
入口が逆ですから、進む方向も逆ですね


日本経済は破綻すると、マスコミが大キャンペーンをしてますが、破綻を心配するより、経済成長をいかにするかを心配するほうが大事ですよ
特に、今の20代以下の若者は、右肩下がりの経済しか知りませんから、ほんとに元気が無い人が多い
その上、破綻を徹底的に吹き込まれたら、若者がよりネガティブになりますわな
うちはお寺で、参拝の年寄りが元気なので、落差がよくわかるのです
若者のためにも、ポジティブな世界観を探したいですね

デフレギャップを埋めて、なおかつ、税収をアップする方法、とか
いくらでも、思いつきはあるんじゃないですか





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