第3回 インド仏跡巡拝
(平成6年1月2日〜12日)
紫雲寮寮監 浅井覚超
高野山大学学報 No.32 1994/7/1
今般の巡拝者は以下の20名である。
日下義章、浅井覚超、瑞樹正哲、矢田部信恵子、中島浩二、森済貴行、横山昌彦(以上、一般)、中原慈良(博)、深沢敬生(修)、米山隆恵(専修学院)、木下友衛(4)、加藤圭亮(3)、山沢慎太郎(3)、宮田久司(4)、三木覚照(1)、川崎一洋(1)、加納和雄(1)、早川哲司(1)、中山華子(3)、華井京子(1)、(添乗員 柴野雅彦同行)
今回の主な巡拝地はブッダガヤ、前正覚山、ムチリンダ村のムチリンダ竜王池、霊鷲山、竹林精舎のある王舎城、パトナのクムラハール遺跡、ヴァイシャリー、チュンダ屋敷跡、クシナガラ、ルンビニー、ピプラハワ、祇園精舎等である。
そのうち、ムチリンダ竜王池は、ブッダガヤ大塔から南3キロの地点にあり、6人乗りの小型3輪で約30分程ガタガタ路をゆられてゆく。森林の多い地であったが現在は切り開かれた農村である。ここの霊池で気になったことは、竜王池そのものは国の所有なのをいいことに、近所の農民がごみ等を岸辺に埋めて少しづつ池を狭めていることである。参拝者もこの池に来るのは珍しいと言う。それにしても釈尊成道の後、ムチリンダ樹下にて瞑想の釈尊を護ったという竜王伝説の池は濃き藍を寂とたたえ神秘の色を醸し出していた。
なお、釈尊が釈尊が出家前に住していたカピラ城址とされているピプラハワにおいて、我々は釈迦族の供養をした。既に釈尊在世の時代に釈迦族は隣国によって滅ぼされる(現在、ネパールに釈迦族末裔を名乗る一族がある)。2500年以上を経た今日と雖も釈迦族の悲しい歴史に哀悼を捧げるのは仏教徒として当然と言えば当然である。
美術研修としては、カルカッタ・インド博物館、宝石を散りばめたジャイナ教寺院、マハンタ邸内の仏像等、ナーランダ、パトナ、マトゥーラ各博物館を見学。カルカッタでは鼻の細い大きなガンジス鰐(クンビーラ、即ち宮毘羅、金毘羅と音写される)に目を瞠った。諸仏の美に感動したのは言うまでもない。
ヴァイシャリーでは仏跡の他にマハービーラ誕生地を訪れる。赤いジャイナ教寺院の門を潜り、つき進むと大きな菩提樹があり、その右手に15メートル程の石の円周の中にマハービーラ誕生碑が立つ。
タージマハールではヤムナー川の冬風が厳しく肌の凍る思いであったが、それよりもその白亜の殿堂に見惚れる人々が後を断たない。
最後に第3回の巡拝を記念して、ルンビニーにおいて無憂樹(アショーカ・ツリー)を一同にて3本植樹したことを記しておきたい。
平成6年1月末日 合掌
迦毘羅城 廃れ田鶴鳴き めぐりけり 覚超