長保寺客殿 一棟
県指定 昭和45年5月25日
客殿は数寄屋風を取り入れた軽快な感じを与える建物である。本坊の建物は紀州徳川家により寛文年間にも修理、造営などなされたものと推察されるが、現在の建物は棟札により安永8年(1779)に第7世徳因大僧都によって再建されたもののようである。
のち文政3年(1820)治宝公が霊殿の屋根葺替等の大修理を行っているので、この時にも客殿、庫裡の修理も行われたものと推察される。
客殿は東に霊殿、南は納戸・台所に、西北部は内仏殿に接続する。
間取りは北側に二室を構え、西寄りに床・違棚付の十畳を、東に八畳の次の間を控えている。西方の床裏には押入付の板の間が取付く。
南側は三室を構え、西寄りに床および縁側付の七畳を、中央に押入付の八畳を、東側には押入付の十三畳間があり南北にはいずれも縁側が取付く。
各間には面皮付の柱を交え畳敷である。内法長押を廻らせて棹縁天井を張り、北側十畳間の床と床脇境には円窓を開け、床脇には違棚や天袋を設けている。
北側の部屋境には腰付の襷欄間を飾り、北の十畳間と南の八畳間境には吹寄せの筬欄間を飾っている。
屋根は入母屋造、本瓦葺である。
各部屋境には襖建、縁側境には障子を建込み、北の十畳間の縁側境の床の間寄り半間には付書院風に構え、花灯形に吹寄せ障子をたて違い棚の天袋には小襖を装置している。
この建物のうち十三畳間の東側の増築、縁側廻りの改装の痕はあるが、主体の価値を低下さす程のものでなく、よく旧状が残されている。