三諦星(さんたいせい)と言います
宗紋は、家紋と同じく、戦国時代にはきっちりと成立したもので、敵味方の識別マークですね
間違えたら、えらいことになるので、厳格に決められています
背景になっているのは、十六菊紋です
御承知のとおり、十六菊は皇室の紋章です
天台宗は、そもそもは京都の皇室を守るための宗教として始まったからです
京都御所の東北の鬼門の比叡山で、勅許をいただいてお寺(延暦寺)を建立して本山としています
ですから、僕は、毎日、玉体安穏を祈っています
なにがあっても、最後まで、天台宗は皇室の味方です
別に僕は右翼じゃありません
右左などという言葉ができる前から、天台宗は皇室を守護しています
でもって、恐れ多くも、その上に、ちゃっかりと、三つの星が乗っています
これを、三諦星(さんたいせい)と言います
三諦は天台学の専門用語で、これこそが天台宗の中心教義です
それを図案化したのが三諦星です
もうしわけないですが、ここから、また、かなり、わかりにくいです
天台宗による公式な三諦の説明です
「
諦とは苦集滅道の四諦や真俗二諦の諦と同義で真理を意味し
常識的に真実とされるものは実態のない空諦
実態はないが縁起によって存在する面を仮諦
両者を超えた真理を中諦と称し
相互に具し合うのが円融三諦という
これを観法によって体得するのを空仮中三観とし
漸次に観するのが次第三観
三観各々に他の二観を含め、三にして一、一にして三とするのが一心三観である
天台宗布教手帳
」
わかります?
坊さんは、こんなことを書いた手帳を本山からもらって、法話をするのよ
はぁー、かんべんして欲しい
般若心経などで言う、空と色の関係と原則一緒です
ただ、大事なのは、空と仮を一緒にして、それを中として、その空仮中を一心としてまとめたことです
で、日本の肉食妻帯してる坊さんは堕落しているのではなくて、実はこの一心で、形に捉われることなく信仰をしているのです
もともとは、仏教哲学には空観と唯識観という二大潮流があって、空観はナーガルジュナの大智度論、唯識観はバスバンドゥの成唯識論に代表される、膨大な論書が作成されました
それが、今から約1300年前に密教が集大成される時期に、胎蔵曼荼羅(空観を主題にしている)と金剛界曼荼羅(唯識観を主題にしている)に整理されます
この胎蔵曼荼羅(北インド)と金剛界曼荼羅(南インド)はインドでは全く別の土地で成立して、中国でも別個のものとして礼拝されています
胎蔵曼荼羅はそれだけで世界を全て説明し、金剛界曼荼羅もそれだけで世界を説明し切ってしまいます
それを、金胎不二として、両部曼荼羅としていっしょにしたのが弘法大師です
弘法大師が初めて、統一感のある世界像をつくったのです
ただし、天台で言うところの中という概念はないのです
不二(ふに)と言うだけで、どういっしょなのかは提示されません
コインの表と裏と、コイン自体と、まあ、論理的には親切な考え方でしょう
で、天台は空仮中と三諦として、これをまとめて一心としました
だからどうなの、ということですが
出家–>真実の生活(精進料理、妻帯せず)
在家–>仮の生活(肉食妻帯)
とします
で
出家–>真実の生活–>空
在家–>仮の生活–>仮
形に捉われない生活–>現在の日本仏教–>中
ということになるのです
真言宗では、今でも、出家主義が建前です
それは、空と仮があくまで別個で、人間は空を理想とする存在だと考えるからです
これが、肉食妻帯すれば、堕落です
天台宗は、日本仏教の母山として、念仏、禅、法華といった各宗を生み出しましたが、一心で、形に捉われず、仏教を追及しています
それが、大乗仏教の本質です
日本で、最澄が具現化したのですよ
大乗仏教を
お忘れなく
まあ、たとえば
肉を食べたら、鬼ですか?
結婚したら不浄ですか
人間の価値は、そんなことでは評価できません
宗教の名において、生活の価値に上下を作らない思想が、大乗仏教なのです
崇高に感じられる神という概念や、一見厳格な戒律を、すべて仮として位置づけ、同時にどのような形式も否定せず、心というシンプルで、もっとも身近なことにだけに注目するのが仏教です
論理的に言えば、仏教というレッテルもいりません
全く自由です
それでいて空という、我執や妄想の全くない純粋な「生の世界」と常に交流し続けます
人間から、妄想と自分勝手を取り除けば、かなり空に近くなると思いますよ
それが、仏道ですね
身近な表現で言えば、理想だけ追求してもダメで、現実だけ重視してもダメなんです
理想と現実、両方あるのが人生です
理想でもない、現実でもない、なにが重要なのかというと、慈悲ではないですか
理想だけ求めて他人を非難し、欠点を探しても、なにも解決しません
現実の利害得失だけ求めても、出口のない堂々巡りが続くだけです
一番大事なのは、理屈でも、辻褄合わせでもありません
両方十分理解したうえで、今、人のために出来ることをすることです
理想を語り現実を知り、そして、苦しみを除き喜びを与えるのです
己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり