イデア

わかりにくいことを書き連ねましたが、おまけにちょっと

プラトンのイデアが、つまり「感じる前の世界」と、近い概念なのです
で、僕としては、どうしてプラトンは瞑想をしなかったのか、疑問です

僕の親類に、田中美智太郎さんの弟子がいるので、機会があれば尋ねたいと思っています

新プラトン主義とか言って、プラトンのもじりが、西洋神秘主義、オカルティズムの背景にあるのです
で、これ、理屈はどうとでもつけられるので、さほどの興味は持っていないのですが・・・

西洋世界では、ローマカトリックがニカイア公会議で、中央集権的なキリスト教にしてしまったおかげで、人間がもっている、やや通常よりも広い感覚(まあ、霊感とか言うわけですが)を、魔女狩りまでして弾圧してしまいます

そのせいかと思いますが、西洋では神秘体験はほとんどすべて、アンダーグラウンド化してしまいます
シルバーバーチなど、キリスト教の修正主義とでもいいましょうか、ウパニシャドや仏教思想とキリスト教のパッチワークですけど、異端かつ、悪魔に分類されてしまうんでしょうね

それで、プラトンのイデアも、宗教の世界では生き延びることはできない環境かと思いますが、強力に西洋文明の底流で生き続けます

キリスト教が神秘体験を異端として追い出してしまったんで、新プラトン主義は、オカルトと結びつくしか行き場がなくなってしまいますが、仏教世界でなら、もうちょっと日のあたる場所もあろうかと思いますね
プラトンはイデアに対するあこがれをエロスとしてしまうんで、脱線してしまいますが、西洋と東洋の接点は、ここらあたりになろうかと思いますよ

プラトンが加持という考え方を知ったら、面白かったでしょうねぇ

で、以前も書きましたが

こちら

ローマは、多神世界で、各地の神々を平等に尊重して、それらを統括する概念がフィロソフィーでした
パンテオンの壁面に神々を祀り、中央部の空間に、人間が来ます
そのまた人間の中心を、信頼したんですね

(今現在はですね、このパンテオンには、カトリックのキリストだけが祀られてます
ま、乗っ取られたんですね)

フィロソフィーする力が人間にあって、イデアが時間を超えてあるなら、仏教との距離は、「その人間が完成の域に到達してイデアを獲得する」ということが現実に起こりうる、ということを受け入れるかどうかでしょうね

それで、幸せなことに、東洋にはブッダが出現しましたから、それは、自明のことにはなりました
ただもうブッダから2500年ですよ
だんだんと、わけわからなくなってきますよね

ですから、僕の言ってることも、わけがわからなくて当然だと

仏教的な考え方の中に、より普遍的な哲学が含まれているという立場ですね

禅とプラトン、かなぁ