仏教でいう唯識と現代の心理学の接点を、一時期探したんですけど、どうも、よくわかりませんでした
というのは、現代の心理学自体が、人体実験ができるわけでもなく、反復実証させるわけにもいかず、観察に対する評価の連続で、かなり文学的なんです
まだ未熟な学問なんですかね
フロイトの無意識をピンセットでつまむわけにはいきませんし、ユングの集合意識も、そう考えることもできる、というだけのことです
向神経薬などありますが、わかったような、わからないような
余談ですが、むかーし、知りあいに、テレビ番組の脚本家がいて、この人が統合失調症で薬を飲んでいました
ぶっとんだ、はちゃめちゃな話が得意で、まんま、地ですね
そのお父上が東大の神経科のお医者さんで、薬をいろいろ人体実験といったらいけませんが、試していたのです
知り合いは、薬がどのように効いてくるか、言葉で説明するわけです
物書きですから、詳しく描写するわけですよ
壮絶な、科学の、現場ですね
脳科学も、これからですね
洗脳も研究しましたよ、かなり
ホメオスタシス(恒常性を保とうする自律的働き)とか条件反射を応用するらしいです
精神分析とか、ヒプノセラピーとかね、言葉が重要で、これかなり、臨機応変で、なにか法則性があると言えばあり、ないと言えばないようなで
で、心理学という名で、あんまり物語を拡張しちゃいけないな、とは思いますね
それでも、仏教の場合、4世紀頃から、心に着目して研究を重ねているのですから、まあ、実績と言うか、歴史はありますね
研究が進展しているのか、と言われそうですけど、サンスクリット、チベット、漢文の経典や論書の突き合わせを厳密にする、といった段階ですかねぇ
テキストクリテイークというやつです
考え方の変遷とか、どこから影響をうけたとか、わかってきます
これはこれで興味深いです
ただ、仏教の場合、自分で坐禅なり、修行をしますから、「ああ、これはこう」と自得することが多いのです
それが、自己満足かどうかという問題はありますが、どのみち自分で納得するまで試行錯誤するしかありません
さて
それで、唯識で、瞑想体験や神秘体験の、説明はつきます
仏教では応用もかなり進んでいます
いわゆる、先祖供養、加持祈祷、などです
先祖供養など、どの宗派でもあたりまえにしていますが、「先祖を供養することができる」という理論的根拠は、唯識ですよ
つまり、気持ちが通じる、ということです
経典でいえば、華厳経の重々無尽縁起ですかね
それで、霊の話をしますが
眼耳鼻舌身、意識、マナ識、アラヤ識、如来蔵とあって
眼耳鼻舌身が無くて、意識、マナ識、アラヤ識とあれば、霊界の存在です
眼耳鼻舌身は肉体に特有のものですけど、はっきり言って、霊界の存在でも霊的な感覚器官を持っている者もいます
理屈は、よくわかりません
生命に進化があるように、霊にも進化とか変化があるのでしょうね
仏教では、欲界・色界・無色界と三界に分けて考えます
欲界は人間のいるところですね、欲想のある世界、(ここには人間以外に魑魅魍魎や神々もいます)
色界は、欲が無く、形と思念がある、(神々や仏菩薩がいます)
無色界は、思念だけある、(神々がいます)
それぞれの階層に住民がいるわけです
つまり霊界で、人間も霊の一員ですね
大日如来が説法するのは色界です
仏とか菩薩は、形がありますからね
三界の住んでる場所で、貴賎があるわけじゃないみたいです
まあ、でもこれ、神話と言えば神話です
各宗教、似たようなことを勝手に言っていると言えばお終いですが、証明のしようがありません
三界説も、また細かく階層を分けて、兜率天が人間界に一番近いとか、いろいろ言います
それを、仏教では、神秘体験で検証し、理論化し、経典や論書に残すわけです
で、その神秘体験そのもが、イメージです
パラレルワールドなんです
それで、宗教によって違う天界神話ができてくると
仏教の行者が、己の霊界を見たことは間違いありません
ですから、順を追って、仏教の修行をすると、おなじ霊界を見ます
でも、宗教によって違うんですよ、見え方が
それは、イメージを作る時に、その人が持っている、神話的予備知識に左右されるからですね
だから、いろいろ他宗教のことを勉強すると、見え方は変わってきますよ
長くなりましたが、もう少し
これがですね、神様同志は、イメージのパラレルワールドはないですから、お互いのことは、よくわかっているんですよ
あんまり、己の神話にこだわらないことです、妄想に毛の生えたようなものなんですから