山王垂迹神曼荼羅 絹本着色 江戸後期 長保寺蔵
「日吉山王の諸神の姿を画面に構成したもので、諸神の数や配列に多少の異同がある。本図の場合、神殿の内陣に上七社の七神、外陣に猿面の大行事と早尾の二神と狛犬一対を配し、下方の階段付近に神猿を描いている。」
仏教が日本に伝来してから、基本的には神仏習合で、日本古来の神様と、仏教の仏菩薩天は同時に信仰されていました
それが密教では真言系が両部神道、天台系が山王神道と独自に理論化して、本地垂迹(ほんじすいじゃく)と言うのですが、日本の神々の本体は仏様ということにしました
天照大神=大日如来とか、あてはめていくわけです
よく権現様と言いますが、仏様が仮の姿で(権)あらわれた(現)という意味です
ローマのパンテオンは円形に神々を並べて中心に人間がくるのですが、垂迹説では、本体が仏ということで、仏教的世界観の敷衍になるのです
しかし、統一見解といったものはなくて、宗派や時代によって、少しずつ違います
つもり、これも、イメージがパラレルワールドですから、いろんな解釈が成り立つということです・・・ここだけ読んだらなんのことかわかりません。前の記事からお読みください(^^;)
多種多様な神様達がいるのを、どうまとめるかという、いわば政治的動機が根底にあって、共和制的神殿になったり、中央集権的曼荼羅になったりするということですね
一口に多神教と言ってもいろいろあるということです
これが、ローマカトリックやイスラムでは、もう個性的な神々はいません
否定されてしまいます
それで、今の世界を考える時
キリスト教やイスラムなどの一神教や、仏教や神道、ヒンドゥーなどのような多神教が同時に存在してるわけです
多神世界であるのが現実です
これを、一神教の人たちは認めないのですよ
ま、妄想にしがみついているのですね
ただ、多神世界では、神様達が仲がいいか悪いかという問題が生じるのです
スサノオの神話や、まあ、いろいろあります
神々の世界にも秩序が求められるのですね
それで、僕ら自身が、現代の多神世界が、共和制神殿なのか中央集権曼荼羅なのか、イメージを創り出す必要に迫られているのです
僕は、パンテオンですよ
ただし、パンテオンの中心は、仏心です
よいことをすれば、いい神様
わるいことをすれば、悪い神様
生まれによって善悪はない、行いによって善悪がある
ま、仏教の基本です
余談ですが
神様には眷属(けんぞく)がいるんですね
神使ともいいますが、使い走りです
鹿 春日大社・鹿島神宮・厳島神社
兎 住吉大社
猿 日吉大社・春日大社
烏 熊野三山・諏訪大社・日吉大社
鳩 八幡宮
鶏 伊勢神宮
蜂 二荒山神社・日吉神社
鰻 三嶋大社
鼠 大黒天
蛇 弁才天・大神神社
海蛇 出雲大社
狐 稲荷神
牛 天満宮
亀 松尾大社
狼 武蔵御嶽神社・三峰神社
これねぇ
熱心に、こういう神様拝んでると、その人の周りは、うじゃうじゃとね
なってきます
人間界の邪魔しないように、なだめるため、おまつりしてる神様もありますが、しばしば羽目を外すんじゃないですか
桃太郎の家来のようなもんで、主人の言うことは聞きますが、甘やかされていると、悪さ、いたずら、からかい、冗談など連発します
神様にも都合がありますからね
最近の外国産は、トンデモなのがほとんどです
つまり、外国で相手にされないのが来てたりします
仏教の修行の邪魔をした話も、もう、お釈迦様の時代からあります
坐禅してたら、蛇にぐるぐる巻きにされたとか
仏に化けたとか
これはこれで、難しいということですね