いえ、本の題名です
なかなかの野心作です
認知科学と言うらしいですが、心理学や脳科学、認識論哲学などの学際的な研究分野だそうで、その最新の成果を取り入れて、コーチングと合体させ、有益な自己実現プログラムにしたそうです
論旨は明快なのですが、カタカナをわざとらしく多用して、読みずらいです
苫米地さんの本によくあるパターンです
表装は、個人的には全く気に入りませんね、オドロオドロしてる
これはこうだと明快に断言してしまうので、かえって薄っぺらい感じですが、一つの通過地点として評価しましょう
ま、しかし
僕に言わせれば、密教の考え方とダブっている部分が多くあります
もちろん、密教とは別物ですが、密教をわかりやすくする参考になると思います
密教の場合は、物質を含めてすべてを意識作用によって説明します、唯識ですね
認知科学は、物質と精神を別のものとする二元論です
ですから、よく言えば、認知科学は、より進化する可能性を秘めていて、密教を二元論的な世界観で部分的に説明することができます
全体の論旨は、ぜひお読みになってください
ここでは、ちょっと気になった部分を取り上げてみます
網様体賦活系 reticular activating system
略してRAS
五感によって認識される外界からの情報によって絶え間なく刺激される脳の入り口にあって、「感じることと、感じないこと」を振り分ける機能があると考えられているのが脳幹の網様体賦活系です
ここが、注目することと無視することを決めているらしい
モルヒネが作用するのも、ここです
意識障害もここで起きます
RASを唯識で言うと、マナ識の作用です
あー、これでやっと、唯識と科学の接点が見つかった
自己実現プログラムとは、つまり、マナ識をコントロールする方法ということになります
それが、簡単に言えば、「独り言」と、「なりきり」でできるのです
この本では「独り言」とは言わず、セルフトークと言うのですが、ま、同じですね
仏教や各種宗教では、経典読誦がこれにあたりますが、やはり「独り言」のほうが範囲が広くて、
たとえば、失敗をやらかした場合
「俺はいつもこうなのさ」と自嘲するのではなく
「俺らしくないことだ、欠点を修正して頑張ろう」と前向きに変えていきます
「なりきり」は、臨場感を高め、コンフォートゾーンを高く保つことなのですが
たとえば金持ちになりたい、としたら
「自分はすでに金持ちになっっている」という実感を、言葉や、映像のイメージ、手本になる具体的人物を通じて、精細に自分自身の気持ちの中に構築して(これが、心地よい領域、つまりコンフォートゾーン)、その構築された自己から現状を見て、夢中になれることを見つければ、それが成功に通じる最短距離の方法になります
こうすればいい、という臨機応変のアイデアが、目標に向かってどんどん自分の中から浮かんできますが、それは、コンフォートゾーンにいる自分が思いつくからです
金持ちが心地いいから、なりたいのであって、その心地よい状態を様々に空想して、自分がまさに金持ちになったら感じるであろうことを感じるまでに具体化し(臨場感を高めるということです)気持ちいいことをすれば、それは強制された努力では無く、夢中になれる生きがいなのです
「なりきり」は、密教で言えば、加持ですよ
本尊と自身が平等、繋がるという感覚
密教の場合、本尊は理想の人格であって、つまり、仏菩薩ですが、「なりきり」と言ってしまえば、それは、自分でなんとでも設定できることになります
「天国言葉」とか「引き力」を理論化すると、この本になりますね
(「天国言葉」と「引き力」の意味は書いてると長くなるので検索してください、斎藤一人さんとか浅見帆帆子さんの本がくわしいです)
「天国言葉」が「独り言」で、「引き力」が「なりきり」です
ま、アバウトに言うと
それが、経典読誦と加持にも通じていると
「天国言葉」=「独り言」=> 経典読誦
「引き力」=「なりきり」=> 加持
ちなみに、この本の方法は、過去の失敗を受け入れるのでもなく、和解するのでもなく、書き換えるのでありません
上書きしてしまいます
これは、密教でも同じです
つまり、過去はイメージの中にある物語に過ぎないのだから、こだわる必要は無い、という立場です
成立する必然性があったら物語になったのですが、それは、過去の未熟な自分が創り出した創作物です
未熟な自分をぶっ壊さなければ、新しい自分にはなれません
歩くのも、静止状態をぶっ壊して、バランスを一度崩し、前に足を出して体を支えることで成り立っています
過去をぶっ壊す覚悟がなければ、自己実現はできないということですね