見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています
脳内イメージは、各人各様、すべて独自のものになります しかし、感じる前の世界は、たった一つしかありません |
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自分が感じた世界は、自分だけのものです
感じる前からある、ありのままの世界とは違います 自分の作り出したイメージに捉われることを、我執と言います 苦しみや悩みは、自分がいる、という我執が根本原因です |
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感覚器官で感じる前の、ありのままの世界そのものが、自分というフィルターが介在しない、真実の世界です
今自分が感じている、苦しみや悩みが、全くない世界です 苦しみや悩みを救う力は、感じる前の世界にあります その力に気づくのを、悟り、と言います |
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見る側の我々と、見られる側の世界との間には壁があります
この壁を超えるのが「慈悲の感触」です 「慈悲の感触」だけが至高の心に繋がっています あなたが、全力で誰かのために働く時、自分自身の中にある、至高の心に出会えます |
普段は感覚器官によって切り取られた、自分の脳内世界を自分自身であると思い込んでいるのですが(つまり我執)、実際の自分自身は感じられる前の「至高の心」そのものなのです(これが悟り)
心の重点を、私利私欲に置けば、迷いの世界が深まり
利他公益に置けば、「至高の世界」に直結する、と単純な理屈です
利他公益に置けば、「至高の世界」に直結する、と単純な理屈です
実は、「至高の世界」に気づけば、「死」の意味も変わる、ということですね
光の瞑想の模式図